共感の視点(2)

  • スミスのSympathy とその仕組み

”どんなに人間が利己的なものと想定されうるにしても、・・・、明らかに彼の本性にはいくつかの原理があり、他の人びとの幸福を見るという快楽のほかには何も引き出さないにもかかわらず、それを必要とする。この種に属するものに哀れみまたは同情がある“。スミスは著書「道徳感情論」(1759年刊)をこう始める。一見、これが自由競争によって富の蓄積を奨励する”国富論“と同じ著者のものかと思わせるが、そこでスミスは社会に秩序をもたらす”人間の本性(Human Nature)“について雄弁に語っている。従来の価値観が大きく揺らぐ今、西欧的近代社会の見方には違和感を持つ人でも、少なくともスミスがそこで描く“人間像”から学ぶものはあるのではないか。

 

●スミスと道徳感情論

“同情“から”共感“が新たに生まれてきたように、時代と共に共感の内容は変容してきた。とは言え、現代社会で”同情”が重要と考える人はほとんどいない。むしろ、同情は現在嫌われる言葉の代表と言って良いかも知れない。今日多くの人が思いつく広い意味の共感現象は、例えば、サッカーなどのスポーツにおいて、選手とサポータの間の一体的な結びつきのようなものではないだろうか。現在では、このように同情や哀れみのような否定的な感情のみならず、悦びを表す肯定的感情も共感の対象と考えられている。

多様な共感の議論に通底するモノはあるのだろうか。また、今後の私たちに共感はどのように関わるのだろうか。最近のメディアにあふれる前のめりなAIの議論とは対照的に、こうした話は便利さに繋がらない。けれど、便利さばかり追求する価値観に不安を感じる人も当然いるだろう。

ここでは、共感論としての重要度はともかく、私たちが日常使う”共感概念“の形成に大きな影響を与えたと思われる、道徳感情論を再び取り上げ、スミスが言う”Sympathy(同感)“の内容を掘り下げてみたい。道徳感情論で最も重要なキーワードは“Sympathy”であるが、その訳語は、共感とするか同感とするか現在も統一されていない。本稿では取りあえず”同感“を使うことにする。以下では、スミスが考えた共感論はどのようなモノか、特に基本的な仕組みに着目し、その概要と特徴を考える。

 

表題から伺えるように「道徳感情論」には、同情のような旧来の共感概念から大きく逸脱した性質がある。私たちは普通、人の行為を善いものとして認めたり、悪いものとして非難したりする。そうした善悪の判断、つまり道徳判断とは一体何なのだろうか。考えてみれば、これは大変な問題である。

その問題に対し道徳感情論は、西欧社会が近代化と向き合う中で、人間の本性の働きとして、さまざまな感情に訴えることで答えようとした。同情や哀れみという人間の感情自体は古代ギリシャから既に議論されていたが、そこから行為の善悪を決める道徳判断という形を得るまでに、1700年を超える年月を要している。

日頃の行いを割り引いても、筆者などは話題が道徳や倫理に関わった途端何故か逃げ出したくなる心理的傾向があるようだ。だが、こうした傾向はどうも、私一人ではないらしい。昨今の我が国政治・行政の惨状は、「我が国では一般に道徳判断が関わる社会的出来事や、社会的公正とか社会的正義という事への感度が低いのではないか」と伺わせるに十分である。だが筆者が気になるのはむしろ、理系ではとりわけ低いのではないか、と言う点である。そこでは、社会の課題について考えるのは理系ではなく、文系だというエクスキューズが見え隠れしているが、これからの時代にそれが通用しないことはもう明らかだからだ。

図1.キャラクター:想像の中の料理人

 

●スミスの同感の仕組み

“人の行為の善・悪が感情によって判断される”ことは既に述べたが、スミスはそうした考え方を確立させるため、ある行為の当事者はどういう原因によって、その行為に至ったかを詳しく知ることが重要と考えた。例えば、ある人が涙を見せて泣いていれば、きっと何か悲しいことあるいは苦しいことがあったからだと思うだろう。しかし、悲しみを生んだ原因がその人の不注意にあると分かれば、その人に共感する気持ちは起きなくなる。

つまり、スミスの考えでは、他人の行為が適切であるとは、その行為の動機となった当事者の感情が、その感情を引き起こした原因や対象(出来事)と釣り合っていることである。私たちは、行為の動機となった感情が、その原因から見て適切と判断される時、その行為自体を適切と判断する。また、他人の感情が適切か否かを判断するには、自分自身の対応する感情を用いるほかない。

だが、具体的にはどうすればよいのだろう? 以下の説明にスミスの答えを見ることが出来る;

「私たちの想像力を用いて、他人(当事者)と同じ境遇に自分がいると思い描き、その事から、他人(当事者)の感情と類似の感情が私たちの中に生じる」。

直にスミスの考えに触れるため、少し彼の言葉を引用しよう;

彼(当事者)の感じていること(sensation)がどうであるかについて、私たちが何か概念を形成しうるのは想像力だけによる。その能力も、私たちを助けうるのは、もし私たちが彼の立場に置かれたならば、自分はどう感じるかという事を、私たちに提示するという方法しかない。私たちの想像力が写し取るのは、彼のではなく、私たちの諸感覚の印象だけである。想像力によって、私たちは、自身を彼の境遇に置くのであり、その時、私たちは自分たちが彼と全く同じ責め苦をしのんでいるのを心に描く。いわば、私たちは彼の身体に入り込み、ある程度彼になって、そこから、彼の感じていることについての観念を形成する。そして、程度は弱いが、彼の感じていることに類似したものを感じさえする。

スミスは上で、「彼(当事者)の感じていることに類似したものを(観察者も)感じる」と言っている。これがスミスによる同感である。スミスによれば、当事者の本来の情念が、観察者に生じた情動と協和している場合、当事者の情念は観察者から適当なものとして是認される。つまり、他人の感情を原因や対象から見て適切と是認することは、我々がそれらに“同感”することであり、反対に、それらを是認しないとは、それらに“同感”しないことである。

 図2に以上の同感の仕組みの概要を示した。

図2.スミスの同感の仕組み

図2では、同感に関わる要素として、当事者と観察者それぞれの行為およびその動機となる感情、また原因を与える境遇を一列に並べて示した。スミスの同感では、境遇の交換、即ち、当事者の境遇(S)に観察者の境遇(S’)を置くことによって、当事者の感情(E)に関する想像として観察者の感情(E’)を描く。なお、図中の(1)、(2)に関する議論は詳細にわたるので、付録に回した(付録1)。

 

同感の定義を元に、スミスは実に様々な善悪の判断、つまり道徳判断についての議論を推し進める。 でも、確か、当事者の行為の善悪を、観察者の感情を元に同感によって下すという判断は、観察者の感情に基づく判断だったハズでしたね。ならば、個人的な感情による判断が直接社会的規範や道徳判断になるという訳ではないですよね? もちろん、スミスは個人的な感情とは別に、“胸中の公平な観察者”の働きに着目し、それから公正な判断の基準が導かれるとしている。しかし、ここではそうした道徳判断の具体的な内容に立ち入らない。それらについては全て他に譲り、以下では、特に共感論の視点からスミスの同感が注目される特徴に的を絞ろう。

 

●スミスの同感の特徴

一言でスミスの共感論の特徴を云えば、上述した下線部の説明に見られるように「同感のための手段が”境遇の交換”だった」という事だろう。彼は境遇の交換というアイディアに自信があったらしく、境遇の交換について細かな注意を与え、また、それによって得られる効用を説明している。例えば、前者については、

観察者は何よりもまず、彼として出来る限り、彼自身を相手の境遇におき、受難者(当事者)に対しておこる可能性のある困苦のあらゆる細かい事情を、彼自身ではっきり考えるように努めなくてはならない。 彼(観察者)は、当事者のあらゆる事情を、その最も細かな不随物の全てとともに、取り入れなければならないし、彼の同感の基礎である、想像上の境遇の交換を出来るだけ完全なものとするように努力しなければならない。

また、後者については、

(境遇の交換によって、)いわば、我々は彼の身体に入り込み、ある程度彼になって、そこから、彼の感じていることについての観念を形成する。そして、程度は弱いが、彼の感じていることに類似したものを感じさえする。

スミスは、“境遇の交換”によって、観察者にこのような(共感的)作用が及ぼされるという方法の独自性を強調しているが、今日の共感概念への影響から見ると、スミスの共感論で重要なのは、「同感は、人間の間に限られるものではない」ということを明確にしたことの方にあるのではないか。彼の考えは次の文にハッキリ認められる:

何かの対象から当事者の中に生じる情念がどんなものであろうとも、彼の境遇を考える時、すべての注意深い観察者のなかには類似の情動がわきおこる。私たちの関心をひく悲劇や騎士物語の中心人物たちが救い出されることに対する歓喜は、彼らの困苦に対する悲嘆と同じく真剣である。

このようにスミスは、劇中の人物とそれを見る人間の間に“同感”は考えられると明言しているが、これは“今日の共感”とのつながると言う点で大きな影響がある。何故なら、ここでスミスが考えている劇中人物はおそらくギリシャ悲劇のような伝統的な演劇に現れるヒーローなどだろう。演劇は生の人間が演じてはいても、それは劇、つまり虚構の世界の創作である。その意味では、小説や漫画などのメディアに登場するキャラクターと共通している(図1)。言い換えれば、同感は多様な創作作品のキャラクターを対象として、人間との間で生じ得ることになる。情報時代の現代、一種の記号としてのキャラクターは大きな役割を担っている。しかし、それについての説明はここでは不要だろう。

 

●まとめ

ここで、これまでのスミスの同感の議論を簡単にまとめておく。

スミスの同感は、行為の原因となる出来事、状況に能動的に意識を向け、単なる同情(共感)のように受け身ではない。また、感情を元にしているとは言え、是非の判断に、反省的な意識が働いている。この点で、スミスの同感には感情と理性がある意味で混在していると言って良いだろう。

だが、スミスの同感の大きな特徴は、同感が想像力の働きによって生まれるというより、想像力が作ると言った方が良いスミスの見方にあると言えよう。想像力によるからこそ、広い意味の共感としての同感の対象が人間以外に広がり、無生物にも、また人工的に造られた創作品も共感の対象になる。
「共感は感情移入によって得られる」という現代の“常識”に、こうした共感の対象の拡大という事実が影響していると思われる。そいて、その常識が根強く信じられている理由は、スミスの同感(Sympathy)で、“境遇の交換“を“感情移入“に置き換えた見方をしているからなのではないだろうか。これはもちろん筆者の独断であるが、これまでの同感の仕組みを読み直していただけば、理由はお判り頂けよう。

 

次回は、今回紹介したスミスの同感が現代に及ぼしている影響を分析する。具体的には、物語理解ないし文書理解、あるいは精神分析としてのセラピーを取り上げる予定である。

 

長島知正  2018-05-11

 

付録1:スミスの同感の仕組みの補足

スミスの同感の原理的仕組みは、当事者と観察者相互の境遇の交換によって、当事者の行為の動機となる感情(これを他者の元々の感情(E)とする)と観察者に生じた感情(E’)を“比較する”ことにより、同感の場合には是認する、というものである。

だが、この仕組みには少しおかしなところがある。まず、第一に比較の対象として、他者の“元々の感情”(E)が与えられなければならないが、それは実は知りえないものではなかったのか? そのことに対するスミス自身の説明はないが、承知していたハズだから、誤りと言わず説明の省略と好意的に解釈して、議論を先に進めよう。

とすると、まず考えられるのは、他者の元々の感情(E)は何らかの類推あるいは推測によって得ることだろう。具体的には、他者の涙や表情など外に現れた表現や行為を見ることにより、観察者の経験を元に他者の感情(E)を推定することでE’を得ることになろう(図2では(2)とした)。

これを認めても、同感によって是非を判断するために、それとは別に観察者の感情E’が得られなければ比較”ができない。また、この二つの感情E(実は図2の(2)によって推定されるE’)と別に得られるE’が比較可能であるためには、それらは独立に知られなければならない。スミスの境遇の交換による方法(図2で(1)とした)で得られるE‘は、前述した方法(図2の(2))で得られるE’の結果とは独立に知ることが出来る。