共感の視点(5)

共感の視点(5); “人間らしさ”とは

 

  • 長寿リスク

ここ数年、“人生100年”とあちこちで言われている。不治の病とされてきた“ガン”でさえ、“普通の病気”になったと言われるなど、確かに医療技術の進歩は目覚ましい。平均寿命は未だ延びるのかも知れない。筆者が小学生のころ、祖父が70歳の誕生日に、長寿者として市長からお祝いを贈られたことを覚えている。当時の平均寿命は60歳にもならないくらいで、まだ“人生50年”といった言葉も使われていた気がする。言い換えれば、直近の50~60年ほどの間に、人生の長さは倍に見積もられるようになった訳である。これには医療に掛かる科学技術の解決能力の寄与が大きいことは明らかである。とは言え、“長寿リスク”というコトバがあるように、必ずしも寿命の延びは歓迎されることばかりではないところに本当の問題はあるのではないか。

 

長寿リスクという時、一般に、老人の割合の増加による、社会保障制度の維持・存続の懸念を指しているだろう。そこでは、低福祉・低負担あるいは高福祉・高負担のいずれを選択するかという社会政策が問題になることが多いが、どのような公的負担の形が良いのかという問題も、裏返せば、個人の生き方や他者との“支え合い”のあり方が問われていることになる。

我が国では、“支え合い”より前に、高齢者個人の生き方がまず考えられなければならないという意見もある。その意見に当然一理あるとは言え、我が国では“支え合い”が“もたれ合い”になりがちなことは多くの人が感じていることだろう。それ故、共感を通して、“支え合い”の意味や“人間らしさ”との関連を考える事も大切と思うのである。

 

既に指摘したことだが、スミスによる共感(同感)では“境遇の交換“を考えるところに大きな特徴がある。境遇を交換することによって、当事者の思いなどを(第三者が)理解する方法は“共感的理解”と呼ばれる。このスミスの境遇の交換は、視点の移動と捉えることによって理解しやすくなる面がある。前回のコラムでは、映画寅さんの物語を辿ることによって、そうした実例を確認した。

実は、共感的理解という方法は、映画や文芸作品の理解のような分野を越え、更に広い領域で活用されているのである。以下では“ある意味で”特殊な”分野になるが、医療分野の看護(Nurse)と臨床心理のカウンセリングに注目し、そうした広がりの感触を確かめることにしたい。

 

  • 他者の苦悩を理解する:

災害など予期せぬ出来事によって、誰もが思わぬ苦境に立たされ得ることを知らない人はいないだろう。このような事態に直面する時、人は様々な悩みや苦しみを体験する。しかし、”他人の苦悩を理解する”ということに対する社会的な感受性は高くはないようだ。 だが、”人生100年”というコトバと共に、自分一人で生き抜くことの困難や、誰しも介護される側になる事態が身に迫ってきた。正に状況は大転回している訳だが、介護に対する理解は進んでいるだろうか。

 

私たちは病気やケガをすれば医者のところへ行って診てもらい、そのために医学があり医者はいると考えている。だが、医学に隣接した看護やカウンセリングの仕事を知る人は多くないだろう。以下では、心身を病んだ人間の介護につらなる看護やカウンセリング分野の基礎について、各々の分野の専門家による解説を元に考えてみよう。

図1.看護師

 

  • 看護

まず、看護の問題から始めよう。従来、看護師の仕事は、医者の助手のように思われるなど、十分理解されてこなかったのではないか。常識的には、看護は傷病者の手当や世話したりすることと考えられるが、ここでは、看護について、看護師の教育に当たる看護学の専門家による解説(*谷津裕子、共通感覚と共苦の概念、感性工学Vol.10、No.1、P.23)を訪ねてみよう:

看護師の教育では、「他者の痛みや苦しみを引き受けるとはどういうことか」という課題があるが、看護学教育において、肯定的な価値が付与され奨励されているのは、共感の概念である。看護学の教科書で、共感または共感的理解は次のように説明される;

(1)「相手の気持ちを自分の事のように感じること」

がまず挙げられる。その上で、付帯条件として、

(2)「(相手に)巻き込まれないこと」

が付けられる。

(1)は、共感の説明である。(2)の付帯条件、「巻きこまれないこと」の具体的説明は多くの場合ないが、共感の対象から離れていながらも、共にあるという感覚こそが、看護師にとってちょうどいい職業人としてのスタンスで、それ以上相手に巻き込まれ、感情に溺れるなら、適切な看護ケアが行われなくなってしまう、と懸念されるからではないか、と推測される。

上の看護教育の主旨は、共感論として考えると、次のように言えるのでないか。苦しむ相手と感情を分け合いながら、「(相手に)巻き込まれない」という(2)条件は、看護師(観察者)は苦しんでいる患者(当事者)から距離を置くことを意味するが、それは冷静に患者を観察し、適切なケアをするために離れことが必要で、職務を正しく遂行する上で合理性があるように思われる。

 

  • カウンセリング

続いて、臨床心理のカウンセリング理論に注目しよう。カウンセリングでは、カウンセラー(相談者(治療者)、観察者)は、心の悩み(病気)を持ったクライアント(来談者(患者)、当事者)の相談に応じ、悩みの解決を支える(*)。その際の基本的課題は、カウンセラーは、悩みを抱えるクライアントとどのように接するか、だろう。

1950年代に米国のロジャースはクライアント中心療法を提案した。以下は、ロジャース派による療法の要約である。注目されるのは、ロジャース、カウンセラーの条件として共感的理解(Empathic Understanding)を挙ていることだ。

ここで、ロジャースによる共感的理解とは、

「治療者が患者の内的世界の中に入り込んで、あたかも自分がその人(患者)になったかのように、感じ、考え、見ること、しかも、“あたかも、・・・のようにという性格を失わないこと」

と(定義)される。

この”共感的理解”に従って、ロジャース派では、共感は解釈や指示といった外側からの働きかけと対立する概念であることに加え、カウンセリングで重要視される事ととして、1)治療者自身の感情や先入見にとらわれない理解(投影の排除)や2)自他の区別が維持される理解(同一視の排除)、

等が挙げられる。

 

ロジャース派の実際のカウンセリング(面談)おいては、カウンセラーの「非指示性」という点に特徴がある。ここで非指示性とは、カウンセラーは、クライアントに対し、価値判断含む指示を一切与えず、問われても、どうせよとは答えないことである。

カウンセリング(面談)における「非指示性」とは何を意味するのだろう。

カウンセリングは様々なこころをの悩みを抱える患者の相談に応じる。そして、カンセラーは患者に自分の抱える問題をよく理解させるようにしなければならない。そのために先ず、カウンセラーは患者の問題を十分深く理解せねばなるまい。

カウンセラーが「非指示性」に従うことは、ライアントの悩み(苦しみ)を理解できたとしても、苦しい感情を積極的に肯定したり、反対に、それを否定するようなことはしない、という態度をとる事ことを意味する。言い換えれば、カウンセラーはクライアントに対して“巻き込まれない”ような態度をとることと言えるだろう。カウンセリングにおいて、”巻き込まれない”というカウンセラーの態度は、自分勝手な態度のような印象を与えかねず、微妙な問題もありそうだが、背景には、心を病むクライアントの問題の解決は自らの力によって見いだされなければならないという(アメリカ)社会の合意があるとされている事は見落とせない。

 

  • 結語

これまでの議論から、取り合えず、介護に重なる分野の看護や心理療法のカウンセリングでは、共感的理解(Empathic Understanding)という共通の概念が基本的役割を担っていることが確かめられた(**)。ここで大切なことは、取り上げた分野において、共感とは、単に相手にいたして同じ感情を持つことではなく、相手と一定の距離をたもつことによって、相手の事を正しく理解できるようにしなければならない、という点である。これは以前、スミスの共感は”条件付きの共感”であると云ったが、その条件付きの構造が其々の分野において具体的な形で表れているのである。

我が国では、共感あるいは共感的理解について、こういう理解は事実上ないのではないか。共感的理解の概念は産業革命が始まろうとしている時期に考えられモノだ。このような大きな時代的変化に繋がる出来事への対応を欠いていることが、わが国で共感という概念が、”上司を慮る〈おもんぱかる)日本的忖度”の頸木(くびき)から抜け出せない大きな要因ではないのだろうか。これは些細な問題とは言えまい。

図2.チンパンジーらしい?

最後に、共感との関連で、「人間らしさとは、何か?」という問題に簡単に触れることにしよう。

わが国のお家芸であるチンパンジー研究によると、チンパンジーは人間にもっとも近いと言われ、瞬時記憶などの認知能力は人間より優れているらしい。ならば、人間をチンパンジーと隔てる“人間らしさ”はどこにあるのだろう?

結論を端的にいうと、チンパンジー研究者による”人間らしさ”に対する答えの一つは、“分かち合うこころ“、言い換えれば、”互恵的な利他性”である。つまり、チンパンジーは、食料を、君にこれを、あなたにもこれを、、、と互いに分け合って食べる事をしない、と言う。この”分かち合う”という”人間らしさ”は、もっと強調されて良いのでなかろうか。

何故なら、”人間らしいさ”として”分かち合いうこころ”は、”共感”に通じる一方、”互恵的利他性”は、スミスが想定した共感は人間の”道徳的な規範”というより、”経済的な合理性”との繋がりを示唆しているからだ。

なお、チンパンジーとのもう一つの違いとして、人間には想像力がある。特に、未来に希望に持てる知性があるのが人間だという、指摘も付け加えておくこう。

人間の想像力については、次回以降取り上げていきたい。

 

長島 知正  2016-08-28

補注:

(*)一般に、心理療法の中に、カウンセリングの他にセラピーが含まれる。カウンセリングは患者の相談者の地位に留まろうとするに対し、セラピーは治療を目標に置いている点などに両者には違いが見られる。本稿では厳密な区別をしていない。

(**)看護学では、共感的理解とはいえ理解では不十分で、さらに「患者を援助してあげたい」という積極性が必要という議論があることを加えておきたい。