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いま、なぜ哲学なのか

このサイトの主旨については、わりとお固い感じで書いておいたのですが、このコラムでは、それをもう少し補足して、自分がなぜ、長島先生とこんな活動を始めたのか、その動機のようなものを散文調で書いておこうと思います。

僕らの生きている爛熟した現代テクノロジー社会の始まりは、デカルトだと言っていいと思います。少なくとも、現在、僕らが信奉している工学の元祖はデカルトです。このサイトにデカルトの肖像を使ったのもそのせいです。しかし、デカルトの作り出した、精神と物質の二つを使った世界の理解の方法は、西洋哲学では、意外と早い時期に行き詰まっています。たとえばカント。200年以上前です。カントは、厳密な論理展開で、人間が理性で到達できる領域にははっきりと超えられない限界があることを示しました。

それ以来、デカルトを始まりとした物質と精神の世界は解決不能な問題で溢れかえってしまいました。そんな中で出て来た考え方に現象学があります。彼らは「物質とか精神とか真実とかそういうものは分からないので考えるのをいったん止めましょう。その代わり、僕らめいめいが経験していることだけを事実ということにしましょう」と言ったのです。

当たり前じゃん、と言うでしょうか。でも、よくよく考えてみると、これはかなり過激な物言いではないでしょうか。自分が見て感じて経験したこと以外は信じるのをやめましょう、と言っているのです。すなわち、たとえば、織田信長が450百年前に生きて動いていたことを事実として信じるのは止めましょう、と言っているのです。唯一の実在だと信じていた物質を信じるのを止めるし、同時に精神を信じるのも止める。そしてどういうことになるのかというと「事実」というものの意味が完全に変わってしまうのです。

いつの世も、芸術や哲学というのは時代を50年から100年以上先取りします。これは、彼らが次の時代を予言しているからでは無いです。人の新しい「モノの見方」を、彼らが先に考え出し、それが種子になって、何十年、ときには何百年の時間が経ったあとに、その「モノの見方」が、社会で実現して、くまなく広まって、常識になるのです。だから、これは予言ではなく、創造なのです。ただ、その実現には通常長い時間がかかります。僕らはついこの前までの20世紀の現代科学技術文明で、それを実際に体験したのです。

デカルト由来の思想が西洋で行き詰まり、様々な思索を経て、たとえば先ほど紹介した現象学が西洋に現れたのが100年ほど前です。僕ら日本人が西洋の科学技術を輸入し、それにかかりきりになっていたそのころ、すでに西洋では、その科学技術の基礎になるデカルト由来の哲学はとっくに危機に瀕し、次の時代に突入していたのです。これは、大変なことです。日本は、開国して西洋化し、そして特に戦後、西洋生まれの科学技術を欲しいままに応用し、世界に誇れる一大文明を築きました。しかし、僕らがそれをしている間に、西洋では、その当の科学技術の礎となる思想は行き詰まり、次の思想に移っているのです。

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イマヌエル・カント

ここからは僕の仮説ですが、その西洋で興った「次の思想」が現実に花開いたのが、2000年以降の社会の姿だと思うのです。やはり100年はかかったのです。そして、旧タイプの産業社会化した日本人の大半はこれに気付いていません。とりわけ、その先端を担ってきた技術工学系の人々がこれに気付いていないのは言ってみれば当然のことでしょう。時代は変わってしまったのです。昨今、日本の産業が、主にアメリカ主導の産業進歩にどうしても追いつけず、新しい価値を作れず、という事態が続いていて、日本はかなり焦っているようですが、それは当然の結果なのです。

では、どうすればいいでしょう。

いったん、われわれ日本人は、欧米がデカルトの哲学を見直した100年から200年前に戻り、学び直す必要があると思います。

では、僕ら日本人はいつまでたっても欧米を学ばないと先へ行けないのでしょうか? いや、実は、そんなことは無いのです。考えてもみてください。カントが形而上学の不可能を証明し、その後多くの哲学者がそれを乗り越えようとしていた150年前。日本には、まだ、哲学も、科学も、芸術も、論理も、主観も客観も「無かった」のです。少なくとも、言葉として、Philosophy、 Science、 Art、 Logic、 Subject and Objectというものはありませんでした。あれらはみな、明治時代に主に西周という人が新たに作った造語なのです。

では、その時、日本は未開だったでしょうか。そんなはずはない。僕らは、そのとき、すでに、長い長い独自の歴史に基づく非常に高度な知恵を持っていました。具体的には、非常にユニークで完成度の高い各種の文化を持っていたし、発達した学問も持っていたし、高度な技術も持っていました。それらは、黒船の襲来の後、おそろしいスピードで、先の西洋諸概念に取って代わられましたが、千年以上続いた僕らの性根がそんなことで根絶されるはずがないのです。それで、実は、欧米が次のフェーズに社会を導いていった、その方法に、この古い日本(というか東洋)の精神を使ったフシがあるのです。そのせいで、僕は、サイトの主旨のところに、スティーブ・ジョブズが日本通で禅を信奉したのは決して偶然ではない、と書いたのです。

あと、もう一つ日本人を勇気づけることを言っておきましょう。実は、この今現在、日本の文化で世界で実際に流行り、注目され、広まっているのは、150年前に西洋化する前の日本の古い歴史に基づく日本精神の、いわば、残党に見えることです。あの古い日本の高度な知恵は、暴力的な西洋化の波に晒されながらもしたたかに生き続け、いろいろな形で成果となって世界を驚かしています。ただ、問題なのは、日本人自身がいったい世界で何が起こっているのか、分かっていない場合が多いことです。日本文化が世界で流行ると、単に、日本は優秀だとか日本は素晴らしい、とか言って喜んでいるだけで、その本当の意味に気付いていないのです。

この事情に、僕ら当の日本人が気付かないといけないと思うのです。そのためには哲学を知らないといけません。特に理科系の人々に、いま、世界を導いているのは「哲学」なのだ、ということを知って欲しいのです。それがこのサイトをやっている僕のモチベーションです。

林 正樹