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宙づりの感性(2)

前回大変な駆け足であったけれど、デカルトがどのようにして、コギトの発見から、精神物質の二元論という枠組みを帰結させたか、その大まかな道筋を説明した。また、デカルトの二元論からは、見方を変えれば、認識する主観と認識される客観が相対立する認識図式が導かれるなど、後の自然科学が発展の契機とした基本的要因が垣間見えることも述べた。ここまでを取りあえずの手掛かりとして、”宙づりの感性”と云うコラムの本題に話を進めよう。話の向かう先は人間の感性である。と云っても、いずれ明らかになることだが、感性についての物語や想いを述べたいのではない。云いたいのは、”宙づりの感性”という事態が、デカルトが創った近代の枠組み、つまり、二元論から論理的に導かれるということである。”宙づりの感性”とはどう云うことか、また何故、そうなるのかはこれから説明する。詳しいことは後に回し、まず全体的な話から始めよう。

精神物質を実体とする二元論に行きついたデカルトは、この世界には、コギト(=考える我)とは全く異なる存在として物質が存在するとしたが、物質を具体的にどのように捉えていたのだろう。物質をどう認識していたかについては”方法序説”より、体系的な説明を後に発表した”省察”でしている。省察は、自らが打ち立てた二元論の体系に対する疑問に答える形をとり、改めて、自然界ーそれは神が創造したーは透明化され、機械論的な世界として構成できると主張した。実際、彼の確信は、科学・技術の歴史の中にクッキリと残されることになった。つまり、デカルト以降、自然科学は自らの根拠として二元論を採用し、その物質の側だけを研究してきたと云えるのではないか。そうした科学の選択は産業革命を可能としたばかりか、21世紀に至る科学技術の驚くべき進展に繋がっている。だが、二元論には、精神(こころ)と身体がバラバラに分離されるという”心身問題”に留まらず、外観は心身問題とは異なる形をした解決困難な問題が隠されていることも知られている。本稿の”宙づりの感性”で云わんとすることも、二元論に基づくデカルトの物質観それ自体から導かれる人間の感性に関する一つの帰結である。

デカルトが、完全なる神の存在を介して物質の存在を結論付けたことは前回紹介した。しかし今日では、神の存在まで持ち出す議論はどこかウサンクサイと感じる人は多いに違いない。ウサンクサイどころか、不信感さえ持つ人がいて当たり前だろう。何故、そんな手の込んだことをするのか、目の前にモノがあれば(見えていれば)、それが存在しているのは当然でしょう、と。

”素朴実在論(直接的実在論)”と呼ばれる感覚・知覚経験に根ざした物質界に対するこうした素朴な見方は日常生活を実践するうえで非常に有用なものだ。しかし、改まって考えてみると、当たり前でないことに気づくかも知れない。

素朴実在論の特色は日常生活の経験で知覚の直接的な対象を外的事物とすることにある。ドライブ中、急に眼の前に崖が現れたら、ブレーキを踏むのはその証しだ。しかし、文字通り素朴に、知覚の対象を外的事物に置き換えるのが困難なことも多くの事例が教える。例えば、目に映る景色は文字通りの大きさで外的なものが存在していない。広い意味の錯覚である。また、物理学によれば色は光の中に存在していない。だから、知覚の対象を素直に外部の事物と見なすことは難しそうだ。素朴実在論には根拠が与えられていないのである。

とすれば、知覚の対象として物自体と直接関係しない”何か”を考えざるを得ない、と云うのは哲学者だ。その”何か”を表すものの一つが、西欧では古くから”観念”であったようだ。普通、観念はある事物を意識した時、意識のうちにあらわれる意識内容を意味している。海と聞いたり、山を見たとき、心に現れる一種のイメージ(表象)を指すが、デカルトは、神から与えられた生得的で明晰に意識に現れる観念を元に彼の理論を組み立てた。つまり、我の精神(こころ)の働きの中に、”観念”を据え、その上で、神の存在を介して物質からなる自然を客観的に組み立てた。言葉をかえれば、二元論で物質との直接作用を禁止された、我の精神は、直接の対象として観念に作用(思惟)し、例えば、自らの内に生じる観念を知覚する。逆に云えば、外界の事物は、我の観念によって表象されたものとして見られ(知覚され)るのである。つまり、こころは間接的に外部の事物を見ているのだ(間接的実在論)。デカルトが近代哲学の父と呼ばれるワケも、カントに至る西欧の認識論の骨格と云える、こうした”観念を知覚する”認識モデルを創めたことに核心があるのだろう。もっとも、その評価はまた別の問題と付け加えなければならないが、、、。

free 考える イラストや 

 図1.カンセツテキ・ジツザイ!?

具体的なデカルトの物質観に話を進めよう。デカルトによれば、上の説明のように、外界の物体は、我の精神のうちにある観念によって表象される、間接的な知覚の対象である。だが、その観念のすべてが本質的な存在(実体)を表してないということから話は複雑になる。つまり、外界にあるように心の中で感じられる観念は二種に分けられる。一つの観念は、物質の本質を表す延長のように、明晰判明に知覚され、数学的明証的に把握できる性質(一次性質)を持つ。しかし他方、色、音、匂い、味など感覚的に感じられる観念は、こころの中で感じられても、物質としては存在しないという性質(二次性質)があるというのである。この一次、二次性質の区分は実はデカルトが始めたものではなく、既にガリレオによって主張されていた。またロックによって詳しく分析されたが、ここでは、デカルトの物質観を色濃く表わした、省察3(三木清訳、岩波文庫)にある記述を引用しよう。

デカルトは、”そうして物体的なものの観念についていえば、”と云ってから、以下のような物質観を述べる: (中略)

”これらにおいて私が明晰に判明に知覚するものはただ極めて僅かであることに気づくのである。言うまでもなく、それは、大きさ、すなわち、長さ、広さ及び深さにおける延長、かかる延長の限定によって生ずる形体、種々の形体を具えたものの相互に占める位置、及び運動、すなわちかかる位置の変化であって、これになお実体、持続及び数を加えることができる。”

ここで、デカルトは物質の本質を、大きさ、つまり、長さ、広さ、深さという三次元的に広がる延長のほか、有限な延長による形、様々な形の位置とその変化による運動のみに限定し、物質の概念をそうした数少ない基本要素だけに還元した。これは勿論現代的原子論とは異なっているが、マクロな物質の本質的概念を抽出することによって、ニュートンの力学にも繋がりがある。

しかし、光や色、味、香などは夫々の感覚体験を物体から受け取る。だが、それらの体験は信じられるより疑わしい、とデカルトは云い、次のように”省察”で続ける:

”しかるにその他のもの、例えば光と色、音、香、味、熱と寒、また他の触覚的性質は、ただ極めて不分明に不明瞭にのみ私によって思惟せられるのであり、従って私は、それらが真であるのか、それとも偽であるのか、言い換えると、それらについて私の有する観念があるものものの観念であるのか、それとも何ものでもないものの観念であるのか、をさえ知らないのである。”

この短い段落では、感覚による知識や感覚自体へのデカルトの不信をはっきり現し、科学の対象からそれらを排除すべきという基本的な姿勢がうかがえる。

以上の記述に現れたデカルトの物質観を簡単にまとめてみよう。まず、客観的に存在する物質(物体)は無色透明、無味、無臭であって、空間に広がる延長や運動など限られた性質のみ持つことが許されている。一方、色、音、匂い、味などは物体とは切り離され、心の中でのみ感じられるものである。こうしたガリレオ・デカルトに始まる区別は、どこかオカシイ。だが、現代の科学、特に生理学の見解に類似しているから、ヒョットすると違和感を感じるというより、むしろ科学的に正しいではないかといった反応があるかも知れない。匂いや味などについて基本的にはその通りと云って良いのだろう。とは云え、精神と切り離された物体は、(無色な)形質や形は外界にある対象に属しているが、一方その色彩や匂いなどは精神(こころ)のうちにあるというのはオカシクないか。例えば、長い海岸の景色を見て、地平線と海岸線でかこまれる領域にある海や海辺の砂浜などの形質(無色な物)とそれらの形は遠くはなれた位置にあり、他方、海の青や砂浜の白等の色彩は形とは切り離されて心の中にあると云うことになるからだ。

イラストや パン 

図2.焼きたてパン

また、おいしそうに焼きあがったパンのもつ豊かさはどうなるだろう。パンの豊かさには、焼けたパン生地の色づきやイーストの香りのみならず、ふっくらと焼きあがった形状も与っている。パンの形状はあちらにあって、色や匂いは心の中にあるだろうか。バナナの匂いはバナナそのものに備わっているように感じられるように、元来、モノに備わった十全な感性的性質は一体感の中にあり、バラバラになっては感じられないのではないか。

こうしたオカシサはデカルトも知っていた。つまり、物質の一次性質、つまり客観的に把握される物質の性質と感覚的にこころの中でのみ感じられる二次性質はバラバラに独立に存在するのではない、と。つまり、経験的に心の中に現れる感覚的表象(印象)は外部の対象物質からの刺激が因果的に繋がって現れるからだ。云い換えれば、こころで感じる感性的性質の知覚経験は、外部に客観的に存在する物質の何らかの性質が原因となり、その性質が身体を経由して、こころに伝わり、表象が作られるからである。この説によれば、感覚的性質は結局、物質の性質によって決まっていることになる。こうして、デカルトは客観的に把握できる物質についての科学を進めて行くことによって、感覚的な性質まで分析できるに違いないと考えた。

実は、こころに浮かぶ表象(観念)が外部にある物体を間接的に表すという間接的実在論の立場から見れば、上述した見方はその中に当然含まれるハズであり、後に知覚因果論と呼ばれ広く知られるようになった。しかしここに、デカルトの、ひいては現代科学の楽観が隠されていた。つまり、知覚因果論はデカルト以降300年を経て今日なお未解決、というより、むしろある意味で不可能と云える問題を内蔵しているからである。

話が大分長くなったので、ここで結論を一部先回りして云うことにしよう: 

私たちは今日、ガリレオ・デカルトの一次、二次性質という物質観を基本的に受け入れる一方、科学的正当化の道を外された感性(感覚的性質)は、一体感を失い、行先 定まらぬまま宙に浮いてしまっているのである。

 

知覚因果論は今日の脳科学にも関わる問題である。それらについては次回考えよう。

 

長島 知正      (2017-03-18)

 

 

宙づりの感性(1)

新年ということもあって、前回のコラムでは当サイト、特にコラムのこれからの予定について、筆者の多少の思いも交えて「デカルト的近代からの旅立ち」という題で書いた。そこでは、サイトの名称「理科系のための、哲学、芸術、、、」にある「理科系のため」というただし書きに着目する形で、西欧近代に対する筆者の考えが述べられている。しかし、読み直してみると、話の対象が400年に亘るものである一方、それを捉えるための重要なポイントは絞り込んで書かれていないことが気になる。そこで、「デカルト的近代からの旅立ち」というテーマの内容を浮き彫りにするポイントがどこにあるか、コラムの中で今後取り上げて行くことにしたい。ただ、コラムとはいえ、筆者に予め決まった答が用意されているわけではないから、不定期的になることはお許し頂きたい。

今回はまず、デカルト的近代とはどのようなものであるか、その起点にある”コギト”から考えてみたい。「われ思う、ゆえにわれあり」という文言は恐らく誰もが一度は聞いたことがあるに違いない。コギトはそこに出てくる。デカルトが生きた時代の学術文書は普通ラテン語で、”コギト”は ”われ思う(考える)” のラテン語 で、”コギト・エルゴ・スム”は「われ思う(考える)、ゆえにわれあり」と訳され、コギトは重要なタームとして扱われる。ただし、この文言は仏語で書かれた原書「方法序説」の中で登場するから、原語は仏語 “Je pense, donc je suis” で、そのラテン語訳が上の文言にあたる。

西欧がわが国を含む世界を永く主導してきたといわれる歴史の中で、デカルトはそうした思想的基盤を支えた人物として「哲学の父」と呼ばれている。デカルトの名は広く知られているが、理科系の人は、デカルト座標やその直接的効用として解析幾何学を創めたことを知っていても、その人が哲学の父と呼ばれるワケについては、何故か余り関心がないようだ。見方によっては、あたかも自分たちには思想など必要ないと云いたいようにすら見える。「われ思う、ゆえにわれあり」は、デカルトが自身の思想の出発点としたポイントである。この古い文言を取り上げることにしたい。それは古臭くても、理系・文系に関わりない新しい問題に繋がっているからである。

55図1 われ考える

筆者自身の話から始めよう。その文言をはじめて聞いたのは中学の社会科だったような記憶がある。だが、文言の意味を自問したのは、確か大学進学の前後あたりで、「われ思う、ゆえにわれあり」の意味として自分なりに考えたのは、「人間は生きものの一種だが、人間と呼べるのは、考える能力をもつ生きものだからだ」というものだった。戦後のいわゆる高度成長期に理科系の道を歩んだ故か、「人間は理性によってこそ、人間たりえる」という先の解釈を全く疑うことなく、人生を振り返るころまでそう思っていた。他人に聞いたことはないので分からないが、デカルトの文言の意味を”知性こそ人間を特徴付ける特性である”と理解している人は結構いるような気もする。哲学ではその解釈を取らない、つまりマチガッテイルことを筆者は偶然から知った。

「コギト・エルゴ・スム」は近代西欧の出立点と見なされているから、既に十分過ぎるほど議論はなされているが、デカルトと私たちの関わりを考えるため、以下では哲学での標準的な解釈がどういものか、またそれがどのように現代に繋がるかを取りあげたい。まず、哲学における標準な解釈から始める。

デカルトを考えるうえで時代的背景は重要である。デカルトの時代は、永く教会支配の続いた中世が科学革命を契機として大転回し始めるという歴史の転換点に当っている。一口で云うならば、そうした中で、デカルトは自らそのエンジンになろうと考えていたということである。そのため、彼は「如何にして中世の世界観と異なった正しい世界観を持つことができるか」を普通の市民に訴えるべく、敢えて仏語で「方法序説」を書いた。

方法序説にあるその文言に至るために、デカルトは”方法的懐疑”と呼ばれる手段を考えついた。懐疑的な方法と云っても、未だ完全に正しいことが明らかでない考えがあった時、もしかするとマチガイかも知れないという、一定の留保や躊躇をすることではない。科学的な発見では、様々なことを疑ってみるという注意深さが要求されるのは当たり前のことである。だが、デカルトは科学の範囲に留まらない、思想家である。彼が考えた”方法的懐疑”は科学の常識を超えたもので、マチガイがあるかもしれないという相対的な懐疑ではなく、ありとあらゆるすべてを疑うというのである。そこでは、彼自身が信頼できるとした数学や、また、眼前にある事象すら、夢かもしれないという懐疑の対象にしなければならない。デカルトはこうしたすべてを疑うという考えを徹底して押し進め、それでも疑われずに残るものがあることにたどり着いた。つまり、

すべてを疑わしいとしても、そう考えている私はある」ということは真実だ!

と。これが、デカルトの「われ考える、ゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)」に対する哲学の標準的な解釈である。

ところで、”思っている(考えている)われ”は、普通の人間ではない。コギトには肉体がないのである。”われ”は肉体から切り離され、物と一切の関係を持たない、精神として存在している。それは物体が空間的に広がり(延長する)こととは対照的に、空間的な広がりをもたず、また特定の場所を占めることもない。デカルトはこの精神を物と並ぶ本質的な存在、実体と見なした。こうして、考える能力をもつ精神=コギトとそれとはまったく関わりをもたないとが存在する(実体)二元論の骨格が現われる。

デカルトはこのコギトの発見、つまり、考えているわれこそ、あらゆる疑わしさを超え、およそ人間の精神が世界の真理を手に入れる起点になると考えた。つまり、方法序説や省察において、デカルトは、完全な神の存在を介して、われは幾何学的明晰さを基準にして物が作る外部世界を正しく認識出来るとした。言い換えれば、物質世界の仕組みを数学的な方法によって正しく知ることができると云うのである。この記述には相当な省略があるためそれを割り引いての話であるが、そこに、アリストテレス的な有機性(霊性)を内包した世界が透明化されると共に、”認識するわれ”と”認識される対象世界”という近代的な認識論の構図の一端は見てとれるのではないだろうか。また、デカルトが哲学の父と呼ばれるワケもそこに根ざしている。つまり、西欧の近代は、コギトの発見によって、永く続いた教会を中心とした閉鎖的な中世的世界観から、無限に広がる世界の中の対象を外側から客観的に眺める私という、認識論的転回によって始まる、と。

ここまでくれば、筆者の以前理解していた「われ思う、ゆえにわれあり」の解釈のマチガイはもう明らかだろう。以下では、デカルトは今日の私たちとどう関わっているかという観点から浮上してくる問題に注目したい。

上で粗削りしたデカルトの思想の中でも、特に、”考えるわれ=コギト”が、その知性に基づいて数学的な方法を使用すれば物質世界を客観的で正しい理解を獲得できる”というシナリオは、自然学に大きな力を与えたと云われている。実際、上述したように、ガリレオから始まりニュートンで完成した科学革命はそうした背景の中で起き、またその流れは現在にまで及び、今日も自然科学を学ぶ時、デカルトの思想そのものが基礎(の一部)として使われているのではないか。

しかし、デカルトの認識論は、二元論の見方を変えるだけで得られるのだから、二元論が導かれた枠組みと事実上同じ枠組みに依存している。二元論に問題があれば、そこには同じ水準の問題があることにならないか。哲学では、デカルトの二元論は心身問題を引き起こし、その克服が最大の課題と云われ続けている。他方、哲学の外にいる人達の間で、二元論や関連した問題が真面めに議論されている形跡はほとんどない。

いずれにしても、こうした問題の答えは簡単に見いだせるものではないが、全ての人の生き方と緊密な繋がりを持ち、専門家に任せれば良いという問題ではないと思うのである。ここまで準備してきたが、既に紙幅を超えてしまった。次回、デカルトの二元論が生み出した問題として、人間の感性を取り上げて考えることにしたい。

長島 知正    (2017-02-14)

 

 

 

 

 

 

 

 

いま、なぜ哲学なのか

このサイトの主旨については、わりとお固い感じで書いておいたのですが、このコラムでは、それをもう少し補足して、自分がなぜ、長島先生とこんな活動を始めたのか、その動機のようなものを散文調で書いておこうと思います。

僕らの生きている爛熟した現代テクノロジー社会の始まりは、デカルトだと言っていいと思います。少なくとも、現在、僕らが信奉している工学の元祖はデカルトです。このサイトにデカルトの肖像を使ったのもそのせいです。しかし、デカルトの作り出した、精神と物質の二つを使った世界の理解の方法は、西洋哲学では、意外と早い時期に行き詰まっています。たとえばカント。200年以上前です。カントは、厳密な論理展開で、人間が理性で到達できる領域にははっきりと超えられない限界があることを示しました。

それ以来、デカルトを始まりとした物質と精神の世界は解決不能な問題で溢れかえってしまいました。そんな中で出て来た考え方に現象学があります。彼らは「物質とか精神とか真実とかそういうものは分からないので考えるのをいったん止めましょう。その代わり、僕らめいめいが経験していることだけを事実ということにしましょう」と言ったのです。

当たり前じゃん、と言うでしょうか。でも、よくよく考えてみると、これはかなり過激な物言いではないでしょうか。自分が見て感じて経験したこと以外は信じるのをやめましょう、と言っているのです。すなわち、たとえば、織田信長が450百年前に生きて動いていたことを事実として信じるのは止めましょう、と言っているのです。唯一の実在だと信じていた物質を信じるのを止めるし、同時に精神を信じるのも止める。そしてどういうことになるのかというと「事実」というものの意味が完全に変わってしまうのです。

いつの世も、芸術や哲学というのは時代を50年から100年以上先取りします。これは、彼らが次の時代を予言しているからでは無いです。人の新しい「モノの見方」を、彼らが先に考え出し、それが種子になって、何十年、ときには何百年の時間が経ったあとに、その「モノの見方」が、社会で実現して、くまなく広まって、常識になるのです。だから、これは予言ではなく、創造なのです。ただ、その実現には通常長い時間がかかります。僕らはついこの前までの20世紀の現代科学技術文明で、それを実際に体験したのです。

デカルト由来の思想が西洋で行き詰まり、様々な思索を経て、たとえば先ほど紹介した現象学が西洋に現れたのが100年ほど前です。僕ら日本人が西洋の科学技術を輸入し、それにかかりきりになっていたそのころ、すでに西洋では、その科学技術の基礎になるデカルト由来の哲学はとっくに危機に瀕し、次の時代に突入していたのです。これは、大変なことです。日本は、開国して西洋化し、そして特に戦後、西洋生まれの科学技術を欲しいままに応用し、世界に誇れる一大文明を築きました。しかし、僕らがそれをしている間に、西洋では、その当の科学技術の礎となる思想は行き詰まり、次の思想に移っているのです。

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イマヌエル・カント

ここからは僕の仮説ですが、その西洋で興った「次の思想」が現実に花開いたのが、2000年以降の社会の姿だと思うのです。やはり100年はかかったのです。そして、旧タイプの産業社会化した日本人の大半はこれに気付いていません。とりわけ、その先端を担ってきた技術工学系の人々がこれに気付いていないのは言ってみれば当然のことでしょう。時代は変わってしまったのです。昨今、日本の産業が、主にアメリカ主導の産業進歩にどうしても追いつけず、新しい価値を作れず、という事態が続いていて、日本はかなり焦っているようですが、それは当然の結果なのです。

では、どうすればいいでしょう。

いったん、われわれ日本人は、欧米がデカルトの哲学を見直した100年から200年前に戻り、学び直す必要があると思います。

では、僕ら日本人はいつまでたっても欧米を学ばないと先へ行けないのでしょうか? いや、実は、そんなことは無いのです。考えてもみてください。カントが形而上学の不可能を証明し、その後多くの哲学者がそれを乗り越えようとしていた150年前。日本には、まだ、哲学も、科学も、芸術も、論理も、主観も客観も「無かった」のです。少なくとも、言葉として、Philosophy、 Science、 Art、 Logic、 Subject and Objectというものはありませんでした。あれらはみな、明治時代に主に西周という人が新たに作った造語なのです。

では、その時、日本は未開だったでしょうか。そんなはずはない。僕らは、そのとき、すでに、長い長い独自の歴史に基づく非常に高度な知恵を持っていました。具体的には、非常にユニークで完成度の高い各種の文化を持っていたし、発達した学問も持っていたし、高度な技術も持っていました。それらは、黒船の襲来の後、おそろしいスピードで、先の西洋諸概念に取って代わられましたが、千年以上続いた僕らの性根がそんなことで根絶されるはずがないのです。それで、実は、欧米が次のフェーズに社会を導いていった、その方法に、この古い日本(というか東洋)の精神を使ったフシがあるのです。そのせいで、僕は、サイトの主旨のところに、スティーブ・ジョブズが日本通で禅を信奉したのは決して偶然ではない、と書いたのです。

あと、もう一つ日本人を勇気づけることを言っておきましょう。実は、この今現在、日本の文化で世界で実際に流行り、注目され、広まっているのは、150年前に西洋化する前の日本の古い歴史に基づく日本精神の、いわば、残党に見えることです。あの古い日本の高度な知恵は、暴力的な西洋化の波に晒されながらもしたたかに生き続け、いろいろな形で成果となって世界を驚かしています。ただ、問題なのは、日本人自身がいったい世界で何が起こっているのか、分かっていない場合が多いことです。日本文化が世界で流行ると、単に、日本は優秀だとか日本は素晴らしい、とか言って喜んでいるだけで、その本当の意味に気付いていないのです。

この事情に、僕ら当の日本人が気付かないといけないと思うのです。そのためには哲学を知らないといけません。特に理科系の人々に、いま、世界を導いているのは「哲学」なのだ、ということを知って欲しいのです。それがこのサイトをやっている僕のモチベーションです。

林 正樹

「我感じる、故に我あり」(一)

表題の「我感じる、故に我あり」は、云うまでもなくデカルトのつぶやき「我思う、故に我あり」をもじったものである。デカルトのことばは余りに有名だから、ここでその解説を繰り返すことはしない。しかし、「我思う、故に我あり」という文言の意味は誰からみても明らかなのだろうか、筆者は必ずしもすっきりしないものを永年感じてきた。

表題の「我感じる、故に我あり」は、感性工学”という得体の知れないものに十数年前出会って間もなくふっと浮かんだことばであるが、その時以来、デカルトのつぶやきは良くて、「我感じる、故に我あり」は何故ダメなのか、気になりながら時間が経ってしまった。

最近、デカルトを読み直す機会があった。少しだけデカルトが「我思う、故に我あり」とつぶやいて真理を発見する場面を想像してみよう。そこでは、「我思う」という前段の命題から「我あり」という真理発見に至る過程が、「故に」により導かれる形式論理的推論によるか、あるいは推論ではなく直感的判断によるかの議論は今日に至っても未だ分かれているようだ。

こうした議論を踏まえ、改めて「我感じる、故に我あり」を考えてみると、「我の存在」を「我感じる」から論理によって推論していると考えることは出来ないだろう。何故なら、「我感じる」という前段は、個人によって真偽が変わるため、命題とは云えないからだ。であれば、上記の議論のように、「我感じる、故に我あり」を直感的判断として考える時、それはダメだという納得いく理由はなさそうである。もちろん、「我感じる、故に我あり」は「我が感じている」ことを一種の根拠に「我の存在」を捉えているという以上のものではないけれど、”感る”は、”思う(考える)”が立ち上がる前に働くから、より根源的なレベルから我の存在を捉えようとした文言である。 それ故、近代のシンボルであったデカルトのつぶやきに代わって、「我感じる、故に我あり」は感性を軸に据えた文言として、これからの時代のシンボルにふさわしいかも知れない。だが、仮に「我の存在」が云えたとしても、我以外のものの存在を何らかの方法で捉えることが問題である。

長島 知正 (2016-10-06)