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”理系・文系”を巡る話題はなぜ文化の議論に繋がらないのか(2)

英国の作家で科学者でもあったスノーは著書”二つの文化”で、20世紀におきた科学技術革命は、文化を自然科学系と人文系という二つの文化に乖離させるという、深刻な指摘をした。とは言っても、我が国ではそうした文化論以前に、スノーの”二つの文化”に対応した理系や文系という言葉があっても、それは個人の得意科目のような個人的な事情に留まり、二つの文化それぞれへ繋がる文化の議論や活動に根付かないといった事情があるようだ。ここには一種のスレチガイがある。前回のコラムではそのスレチガイが起きるワケを考えた。要点は、理科や文科あるいは科学や文化など”二つの文化”に関わる言葉は、いずれも外国で作られた概念を明治維新の時期に翻訳して創られたものだが、その翻訳の過程に生じる(翻訳)意味の不確定性(翻訳不確定性)が与っているのではないか、ということである。その当否は別にしても、“二つの文化”の舞台はあくまで英国ないし欧州である。実際、日常の生活感覚の中で考えてみると、スノーの”二つの文化論”にはスッと落ちないところも確かにある。ことばは文化を体現すると云われているが、異なる文化圏にある日本の背景が考慮された議論ではないから、そこに分かりにくさや消化不良があって何も不思議はないのである。ここではそうした面を補うため、舞台の中心をわが国の文化に移し、もう一度“理系・文系の話題はなぜ文化の議論に繋がらないか”を考え直してみよう。もし、スノーの二つの文化論と異なる我が国の文化の特徴が見られたら、それも無意味ではないだろう。ただし、取り上げる舞台は、スノーが“二つの文化”を論じ”た時期とも重なる、戦後の日本である。

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 図1.日本文化のシンボル

多くの組織が社会に存在することは当然だが、筆者の世代にとって、戦後の高度成長期とよばれた時代の日本を代表する社会組織と云えば「会社」だった。そして、”ジャパン アズ ナンバーワン”といったタイトルの本が現れたように、戦後日本の高度成長は外国から見ると謎めいていた。そうした中、高度成長のカギは、わが国における会社組織の“タテ社会の構造”という点にあるという指摘は広く内外の注目を集めた。論者の中根千絵は、日本人が自らを社会的にどう位置付けるかに着目して、わが国では、エンジニアとか営業といった専門職種より、どこそこの会社のものです、という所属組織の方に重きが置かれる、つまり、会社という組織への帰属が重視されると指摘した。また、職種では専門知識や資格が重視されるのに対して、会社など自らを置く“場”が重視されるため、そこでは感情的な一体感が支配する状況も起き得る、とした。タテとは、入社年次による年功序列型の機序、またヨコは会社を超えた職能によるフラットな繋がりである。”場”というキーワードは抽象的だが、単に人がいる空間ではなく、組織全体が関わる環境と云えるだろう。砕けた云い方では、”空気読む”の”空気”と云えるのかもしれない。タテ社会の構造論はタテ優位の構造の形成メカニズムを与えるものか筆者には不明な点もあるが、一般には、“タテ社会の構造論”は、戦後の社会において、日本人は敗戦によって失われたアイデンティティーを企業への帰属意識とすることによって、自らのアイデンティティーを保ち、わが国の高度成長を内側から支えた、という解釈により高い評価が与えられているようだ。だが、ここでは、その議論を別の文脈に適用してみよう。つまり、タテ社会の構造論は、戦後の日本における組織と人間関係の特徴を述べているが、それを本コラムの観点から捉え直すとどうなるかを考えたい。

端的に云うと、わが国では、(企業)組織等において、専門的職能より、’場”が重視されるという点に本質があるなら、理系・文系といった話題がどこかで持ち上がったとしても、それは個人の得意科目の範囲に留まり、理系や文系それぞれの文化に社会的な触手を伸ばしていかないのは自明ではないか。即ち、専門的職能より組織への帰属意識が優位にあるという我が国の“(企業)組織文化”のあり方が、理系・文系の話題が社会的な議論に繋がることを妨げる基本的要因と思われるのである。だが、このタテ社会の構造論が本コラムの問題にヒントを与えるとしても、今日の我が国は、高度経済成長後のバブル崩壊を経て、既に終身雇用や年功序列は崩れ、社会にはさまざまな新しい制度が導入されている。もはや戦後ではないから、その議論は的外れでしょ! ほとんどの人がそう思うのではないだろうか。筆者自身タテ社会の構造論は高度成長期の我が国の文化を説明するモデルで、新しい時代に適したモデルに当然変わると考えている。では何故、タテ社会の構造論といった古い議論を今持ち出すのか。一つのワケは、タテ社会の構造論で表立って議論されていないけれど、それと通底しているが、短期的には変わらない、人間の共感という性質が、我々の問題「我が国で、理系・文系の話題が社会の中に根付いていかない」に与っていると考えるからである。 タテ社会の構造論の中心にある帰属意識は、企業などの組織に働く特殊な感情、つまり組織の一員であるという仲間意識である。従って、それは共感と言い換えられるだろう。他者と同じように感じるこうした共感は、人間が感じる一種の感性として組織集団を最も底辺において支えている。共感は感性の一種と云ったけれど、それは美的センスのような感性とはどこか異なっていると感じるかもしれない。だが、その問題についてここでは立ち入らないことにする(拙書 ”感性的思考”(東海大学出版会、2014)を参照頂きたい)。

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図2.タテ社会の病理

タテ社会の構造論を持ち出したもう一つのワケは、「忖度」(そんたく)という何とも古めかしい言葉が、最近新聞に突然現れ、アッという間に広まったからである。なぜ、「忖度」という古い言葉がこのように広まったのだろう。言葉はその国の文化を現すと云われるが、「忖度」には“場”を重視するという日本の感性が関わっていると感じるのである。

「忖度」は漢詩に由来する古い日本語で、その意味は「推量する」だったという。菅原道真が使ったと云われているが、念のため手元の国語辞典で調べると、「他人の気持ちを推し量る」意の漢語的表現とある(三省堂、新明解国語辞典)。ところが、現在「忖度」で問題とされているのは、例えば、「マスコミが時の政府の意向を忖度して、追及記事の掲載を取り消した」という行為や「大企業の担当者は、取引先の社長に不都合な発言はしないよう、言外に忖度を求めた」といった姿勢のようだ。つまり、現在注目され、特に批判のマトにされているのは、他人の気持ちを推し量るだけでなく、さらに相手のことを配慮して、行為するという新しく付け加わった意味ということになる。新聞アンケート(朝日、4月30日)によると、忖度についての受け止め方は、組織の潤滑油とか効率的というプラス面の評価から、上からの無言の圧力による表に現れない不公正な意思決定といったマイナス面まで、人によって大きく揺らいでいる。

現在、マイナス・イメージが強調される「忖度」だが、「他人への気遣い」といった日本社会の美徳もそこには含まれるように感じられる。その意味が安定するには未だ時間がかかるだろう。しかし、「共感」は元来、他人と同じような気持ちを持つという事だから、原則的に忖度と共感には相手の気持ちを推し量るところに類似性がある(後述するスミスの共感も参照)。それ故、組織への帰属意識、共感、忖度という言葉には意味の平行性が認められる。従って、理系・文系を巡る話題がなぜ文化の議論に繋がらないのか、という本コラムの問題に戻ると、専門的職能より、場を優位におく我が国の組織の在り方に基本的原因がある、という結論が再び得られる。この結論は非常に古臭い印象を与えるに違いない。しかし最近は、今まで隠されていた古臭いモノが表層の覆いを破って現れたような出来事がむしろ増えているのではないか。

これから先は、ひとまず”得られた上の結論に対する考察とイイワケである。いい訳を簡単に云うと、”帰属意識”、”共感”、”忖度”夫々のことばの意味は似ているけれど、同じと云えるのだろうか。そこにことばの問題(前回の翻訳語を含む)があるかも知れない、ということである。例えば、「忖度」の意味。忖度の元来の意味は、「相手の気持ちを推し量る」であったが、上で述べたように、現在いわば正反対の意味で使用され、矛盾した状態が生じている。一方、忖度とは異なり、日常的によく使われている共感には、そのような混乱はないように思われる。だが、困ったことには、議論の展開を妨げることばの落とし穴がここにもある。以下、結論の考察として、共感に関する微妙な点を掘り下げてみる。

共感と云えば、多くの人は、例えば、お気に入りのスターなどの演技に感激し、我を忘れて演技者になりきってしまうような状況を想像するかもしれない。しかし、近代の西欧社会に共感概念を定着させた A. スミスの考えは少し違ったものである。その違いを説明してみよう。スミスが用いたSympathy という語は、社会学関係では”同感”と訳され、一方哲学や心理学では、”共感”があてられることが多いが、ここでは、それらを区別せずに使う。

 まず、スミスは、人間とは自らの利害に関係なくとも他人に関心を持つ存在だと云う。だから、ある人が何か出来事に遭遇した場合、その当事者の運、不運に関心を

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持ち、大声で泣き叫んだり、笑い声がきこえれば、何があったのか知ろうとして、その状況を観察する。その際、想像力によって、自分を当事者の境遇に置いて、仮に当事者の立場になったとき、自分がどのような感情を持つか、またどんな行為をするだろうか想像する。それを実際観察される当事者の感情や行為と比べ、もし同じであれば、当事者の感情や行為が適切であると判断し是認する。違えば否認と判断をする。これがスミスの共感である。特に、このような判断における、相手の境遇を知る方法を”共感的理解”と呼ぶことがある。私たちは、日常、他人や自分の行為を善いとか悪いと判断しているが、スミスは共感を基に、誰もが納得する公平な判断(道徳判断)の原理を与えようとしたのである。また後には共感的理解は、心理学分野への応用や音楽や小説など芸術作品を理解するための方法としても広く応用されるようになったことを付け加えておきたい。

スミスの共感で重要な点は、”理解”と”是認”の区別だろう。詳細は別に譲るけれど、要点は相手の立場になって理解をするが、それは相手の行為を全面的に是認することではないという点である。現今批判される忖度が、相手の気持ちを配慮して、相手に有利な行為をするという意味で使われるのとは対照的である。(スミスの)共感では、全面的に感情によって支配されることなく、それを抑制する理性的な働きが立ち上がっている。仮に不幸な人に同情はしても、単なる同情ではない。あるいは、相手に共感はしても、完全に同化してしまわず、相手の行為を公平に判断する。ここに、多くの人が持つ共感のイメージ(意味)との違いがあるが、それは冷たいと受け止められるかも知れない。だがそう云うなら、理性と感情の結びつきを排斥する、従来からの自然科学の思考はどうなってしまうのだろう。

 

スノーが二つの文化論で論じた科学的文化もまた、従来のカテゴリーの自然科学だったのである。共感的理解が示唆する感情と理性が結びついた思考は、科学的成果を深い知恵に繋ぎ変える具体的な手がかりを与え、広い意味の感性を利用したわが国独自の科学技術の基礎になるように思われるのである。

 

長島 知正   (2017-06-21) *加筆;(2017-06-23)

 

 

 

 

”理系・文系”を巡る話題はなぜ文化の議論に繋がらないのか

前のコラム”理科系と文化”で、わが国で日常的に使われている”理科系・文科系”という言葉や区分は、C.P.スノーが”二つの文化と科学革命”で議論した自然科学系と人文系に分類される専門家のグループに原則的に対応していることを説明した。だが、気になるのは、そうした対応があるということよりむしろ、理科系・文科系といった言葉が、得意科目を指し示すことに留まり、社会的つながりをもつ議論に広がっていく気配が一向に見えないことである。かつて、”文理融合”といった話題はあったが、いつしか立ち消えたようだ。 また、理系・文系の壁という言葉が一時マスコミで話題になったこともある。しかし、我が国で、理系・文系や“二つの文化”をめぐる議論が社会的に広がったとは思えない。何故、広がっていかないのだろう。明確な結論をだすのは簡単でなさそうだとは云え、科学技術が、私たちの外部世界にあるモノのみならず、心理的な面への繋がりを強めている今日、今まで見過ごされてきた、人間に関わるこうした、云わば、掴みどころのない問題にどう答えるかが、大切に課題になってきたと思うのである。

しかし残念なことに、わが国ではこうした問題は、往々に「西欧とは歴史が違うからネ」、といった結論になりやすい。これは、「私たちには、歴史は変えられないんだ」、という思考停止の正当化の危険を孕んでいる。 以下では、考えを進める手がかりとして、まず、スノーが”二つの文化と科学革命“で云う文化とは何かについて整理し、その後、理系・文系を巡る話題が文化の議論に繋がっていかないワケは、西欧との歴史の違いにあるのではなく、西欧で使われている言語を日本語に翻訳する過程に内在する不確定性にある、という可能性を指摘したい。

前回述べたように、物理研究者を経て、作家や行政官などを経験したスノーは、物理学などの科学研究者の文化と文学に造詣の深い知識人達が持っているそれぞれの文化を表すため、”二つの文化”という言葉を創った。そして著書の中で、英国最高レベルの知識人たちと云えども、自らのグループに属していない人達が云っていることが分からず、その結果、最高レベルの知識人たちのグループの間は乖離し、互いの無理解や相互不信があると指摘した。スノー自身、文学者たちから古典文学についての見識を試された経験から、そうした文化人達の態度に反感を抱き、文学者の集まりで、”熱力学第二法則とはどんなことか”、と聞いたりしている。こうしたやり取りは一見暴露記事のような印象を与えるが、それは話の余興である。真意は、20世紀の科学技術の進展によって、最高の知識人たちといえども、英国の文化はもはや一つではなく、互いに共通するものを持たない、理解不能な(少なくとも)二つの文化に分かれてしまった、という近代社会の深刻な事態にある。今から大よそ80年程前の話である。細分化が進んだ今日、二つの文化という区分に異論があるとしても、二つの文化を象徴的に文系、理系と捉えれば、今日の我が国でも十分通用する話ではないだろうか。

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図1.将来の夢は?

ところで、スノーは、自然科学者および人文系の知識人それぞれのグループの人達が持っている文化を“二つの文化”と名付けたが、文化そのものはどう捉えていたのだろう。スノーによれば、Cultureには、彼の”二つの文化”に適用できるような二つの異なる意味があるという。第一の意味は、「知的な発展・形成」、あるいは「精神の発達・形成」という辞書的なものである。この定義は抽象的でアイマイさがあって、内容を把握しにくい。そのためスノーは、Cultureの第一の実質的な意味を”教養(Cultivation)”とする妥当性を力説している。ここで、教養とは、人間性を特徴づける性質ないし能力と定義される。つまり、人間が持つ最も貴重な性質で、人間らしい能力は、自然に対する好奇心および記号を用いて思想を表現することであり、これこそが教養、すなわち文化であると云うのである。この説明は十分説得的と思うけれど、念のため、Cultureの原義に相当するCultivationの意味は、”耕す”こと、つまり“作物を造るために耕作する”という意味であること、さらにそこから”精神の耕作”が含意されることも付け加えておきたい。

第二の意味は人類学の観点によっている。ここで、文化は、ある時期一定の地域に住んでいた民族や一群の人たちに共通する生活上の習慣や様式を表すために用いられる。例えば、弥生文化とか文化遺産がこれに該当するだろう。だが、スノーは、この定義における地域性を拡張し、社会における固有の集団にも援用して“二つの文化”という言葉を創ったと云っている。この集団は、特定の地域に住む人ではなく、科学者や人文的知識人といった職業的区分による集まりを対象にしたものである。実際、そうした二つのグループは、それぞれの内部で共通する行動の態度や方法を持ち、文化として存在していると見做せる。それぞれの文化は、自分たちの時代、環境、教育の影響を受けて育まれたのである。

 

カルチャー

 

図2.Cultureと翻訳(意味)の対応; 実線の円の内部がCultureのカテゴリーを表す。破線内部がCultureに対する生活様式・習慣、教養、耕作など異なった訳(意味、使用例(1))を与えるが、Cultureの適切な訳(1)は実線内のみで、Cultureの訳として実線の外部は全て不適切になる。

 

スノーが”二つの文化”で考えた文化は以上のように整理できるだろう。文化の第二の意味、つまり、本来の人類学的な意味の文化は地域性を持ち、そのため生活に密着した身近さが感じられるせいか、わが国でも自然に受け入れられている。 実際、各地で行われる古墳など様々な文化財の調査や発掘作業の話題からそれは伺うことができる。だが、第一の意味の文化、つまり、最も人間らしい性質や能力とされる、自然に対する好奇心や思想を記号によって表現するという教養の方についてはどうだろう。筆者にはその受け止め方に何か非常な違いを感じる。云い換えると、この第一、第二の文化の意味に対する受け止め方の違いが、我が国の理系・文系という区分やそれぞれの文化との近さといった問題に関係していると思うのである。だがここでは、そうした分析をする前に、その前提にある言語の問題、特に翻訳における意味の問題に着目したい。

一般に、翻訳とはある言語の表現を“等価な”別な言語表現に移し変えることと考えられるが、そのような翻訳があるというのは自明なことではない。私たちは今日簡単に、海外の作品にも先人の素晴らしい翻訳によって接することが出来るため、すぐれた翻訳が“正しい”あるいは“等価”な翻訳と思い込みがちである。だが、以下議論するように、正しいあるいは等価な翻訳は存在しないかも知れないのである。

文化という単語は、近代を迎えたわが国が、西欧から短期間に大量に入ってきた外来語に漢字を充てて作った翻訳語で、哲学、芸術、理性、感性、科学、物理、文学などの一つである。上述したような問題を分析する場合、文化、自然科学、理科、文学などの語やそれを含むテキストを用いて議論することになるが、それらの語やテキストの意味は定まらなければならないのは当然だろう。スノーの”二つの文化と科学革命“の翻訳では、原語のCultureは文化、またScienceは科学と訳されている。この訳に違和感を持つ人は少ないだろうが、言語学の方面では、ある言語表現されたテキストに対し、一般に、それに”等価な“翻訳の表現は一つに定まらないと云う主張がいろいろ議論されている。ここでは、そうした主張を翻訳不確定性と呼ぶことにしよう。翻訳の対象は一般に単語に限らずテキストや作品などにおよぶが、以下では、単語を例に、翻訳不確定性の要点を英語-日本語の翻訳から簡単に説明しよう。

異なる言語の間で、それぞれの単語の意味が食い違う例として良く知られるのは色彩の問題である。旅行中、空港でPick Upを約束していたオレンジ色の車はいくら待っても来なかった、といった逸話がある。これはオレンジ色と米国人が呼ぶ色を日本人は茶色にしか見えなかったことが誤解を生んだワケである。物理的に同じ色(波長帯)であっても、言語が異なる人の間では、一般には同一の色ではなく別の色を意味する言葉に対応させていると考えられるのである。

言語間には、こうした色彩感覚に関するズレのほか、広く認識に関わった食い違いがある。例えば、果物という言葉に含まれる食物の種類は、国によって(ウリなどのように)一部が野菜と見なされるから、果物という言葉のカテゴリーは言語によってズレが起こる。

言語間の意味が食い違う同様な例は動詞にも及ぶ。というより、基本的な動詞はほとんどそうである。例えば、meetについて辞書を引くと、出会う、出迎える、などのほか、見合う、戦う等いくつもの意味が出てくる。それ自体、英語のmeetという単語にぴったり対応する日本語の単語はないということを示唆している。また、大きな辞書にはより多くの意味が出てくるが、この多義性により、より多くの事物が適切に翻訳できることになるが、同時に、意味が食い違った不適切な翻訳が作られる危険も増えることは見逃せない(図2参照;実線の外部にある不適切な訳(意味)の領域が増大する!)。

翻訳の不確定性とは上の例のように、原語(英語)を日本語に翻訳する際に生じる非同義性、つまり原語と翻訳両者の語の表すカテゴリーのズレや不一致、さらにまた一つの原語のテキストに複数の翻訳が生じることである。これは、スノーが問題にした二つの文化の間の乖離や相互相反とは異なる、複数言語間の翻訳で広く生じる非常に一般的な問題である。こうした言語論的観点から、表題のような課題にアプローチすることは今までにない試みと思われる。

例えば、「科学は文化か」といった、Culture、Scienceなどの単語から構成される命題を考える場合、それらの原語(単語)に多義性があれば、その翻訳は不確定になる可能性が生じる。それは、翻訳語使用者に、原語でなされる世界認識に歪みや濁りを与え、正しい理解に至ることを困難にする。とはいえ、翻訳が定まらないということが意味する内容を理解するのそう易しくないと思われる。以下、英語を例に少し考えてみよう。英語のWaterが日本語で水と訳されることは誰でも知っている。H2O分子の液体に対して、日本語では”水”のほか”湯”という単語で区別するが、英語には湯を表す単語が存在しない。つまり、同じH2Oに対して、英語と日本語で指示するカテゴリーが食い違っていることになる。日本語の水には冷たいということが暗に含まれるのに対して、英語のWaterにはそのような制約はなく温度的に中立といわれる。だから、湯に対して、形容詞をつけ Hot Waterという英語の表現が使える。だが、こうした食い違いを一応理解できたとしても、それは表層のものだ。日本人ならだれでも分かる”ぬるま湯”のような感覚をWaterと結びつけて理解したり、また逆に英語使用者が、日本語では”熱い水”(Hot Water)という表現が語義矛盾をふくんだ表現だということを了解できるようになるのは難しいだろう。その難しさは、それぞれの言語(原語)によって獲得した正しい知識という信念が揺るがされるからと云えるのかも知れない。

特に、私たちの問題では、Culture(文化)についてスノーが云う二つの意味を認める時、多義性による不定性に加え、Culture(文化)の第一の意味、すなわち教養としての文化の意味を把握すること自体、教養教育が崩壊したわが国ではほとんど期待できないから、それが文化という語を含むテキストの翻訳不定性を増幅していることは想像に難くない。結論をまとめれば、以上の議論が、「理系・文系を巡る話題が文化の議論になぜ繋がらないのか」という問題のみならず、「わが国では、科学は文化になっていないのではないか」といった議論が繰り返されること、云い換えればえれば、「“我が国では、科学は文化になっていない”と思われていること」の基底をなしているのでないか、と括ることができる。

ここまで翻訳に伴ういわば負の面を議論してきたが、急いで、翻訳には創造的な機能を伴っていることを付け加えておきたい。

先ず、翻訳とは日本語と外国語との間に限られるものではなく、大変に広い表現活動に関与していることに注意しておこう。計算機言語のような人工的言語にも翻訳の問題はおよぶが、さらに、日本語同士でも、異なる言語の翻訳は関わっている。その中に、理系の人が研究上使う理系の言語と日常生活で使われる言語の二種の言語がある。荒っぽい説明だが、スノーが”二つの文化”で指摘したように、理系と文系の間は異なる言語の壁で隔てられているのである。しかし、翻訳はこうしたステレオタイプな見方を超える可能性がある。特に、理系の人にとっては、異なる言語間の“同等な”翻訳とは何かも重要だが、翻訳が言語の理解可能性をもたらす創造的行為であることは、データからの理論構築に共通した面を持ち、大きな示唆を与えると思うからである。

 

長島 知正        (2017-05-08)

 

追補

(1)訳(意味)を訳(意味、使用例)に。訳(意味)を訳に。(06/01)

 

 

 

 

 

 

理科系と文化

わが国には、理科系や文科系という言葉がある。理科系・文化系という区別は確かにありそうだし、実際、大学改革、とりわけ教養部改組などでは”文理融合”などということも取りざたされたりもした。だが何故か、理科系・文科系をめぐる議論は我が国では発展していかない。その一方で、最近「科学技術と文化」ということがいろいろな分野で話題にのぼっているようである(*)。これらには何か繋がりがありそうだが、ハッキリしない。表題の「理科系と文化」もどこかすわりが悪いけれど、何故すわりが悪いのか気になる方は、特に、以下をお読み頂きたい。

わが国の少し前を振り返ってみると、理科系や文科系という言葉は、大げさに言えば、入試と就職がセットになって一生を決める機会と見做されていた戦後の、そしてつい最近まで続いた社会構造と一体化して使われてきたと云えよう。そこでは経済成長とともに、条件の良い企業に入るステップとして受験競争は過熱化し、そのため、理系・文系をめぐる議論も受験・進学時の個人的適性や受験教育のひずみという問題に傾斜したということは確かにあるだろう。その結果、数学が得意(不得意)だから理系(文系)だといったことが話題になる。個人としてのそうした適性/能力の議論はあり得るけれど、更に、その適性(特性)を社会に目を向けた議論があまりに少ない。このことは、バブル経済崩壊や発展途上国の経済発展などにより、戦後の社会構造や、また受験事情も大幅に変わった今日でも、理系・文系をめぐる議論は発展どころか、一向に聞こえてこないことに関係ありそうだ。理系・文系の話題が文化の議論に広まっていかない原因がどこにあるのか、それは、最近聞かれる”理科系の文化”の内実に関わる大切な問題と思うのである。理科系・文科系という言葉は恐らく日本製と思われるが、それにほぼ平行する意味を持っ言葉としてスノーによる”二つの文化”がある。ここでは、”二つの文化”を取り上げ、理系・文系と二つの文化のハザマにある意味の異同や問題点を考えてみたい。

以前も述べたことであるが、”二つの文化”という言葉は、スノーの”二つの文化と科学革命”(**)によって広く知られるようになった。以下で、内容に少し立ち入ることにする。

まず、C. P. スノー(1905~1980)の経歴に触れておこう。英国ケンブリッジ大学が主催する年一度の講演会(リード講演)は、毎年、世界的業績を挙げた研究者や著名な作家が登場することで知られているが、作家・評論家として活躍したスノーは1959年の演者として選ばれた。だが、彼はもともと作家志望だった訳ではない。地方出身で苦労したが、大学院の奨学金を得ることからチャンスを掴んだようだ。彼はその奨学金でケンブリッジの大学院博士課程に進学し、ラザフォードが所長を務めるキャベンディッシュ研究所で赤外線分光法に関する研究をはじめた。その後、特別研究員に選ばれるなど、順調に研究を進めた彼はついに27歳の時、「ビタミンAの新しい人工合成法を発見」という結果を得た、と信じた。

”Nature”に発表された”新発見”は学士院長のコメントが新聞で大きく報道される程、世間の注目を集めたらしい。しかし、その解析には致命的な誤りがあることが見つかり、衆目が注目する中で論文を撤回せざる得なくなった。この悲劇的事件によって研究者としての進路を断念した彼は、文筆活動を始め、やがて本格的な小説を作っていった。その後、行政機関や民間企業で行政官、管理職などの経験を積み、晩年はそれまでの経験から活発な評論活動をしている。こうした科学研究、研究行政、作家・評論活動としての経験をもとにした”二つの文化と科学革命”は、1960年代世界的なベストセラーになったと云われている。

勉強3.イラストや           図1.理科系 それとも 文科系?

 

理系・文系の境界を横断する体験をしたスノーは著書の中で、二つの文化とはどういうものか述べた後、二つの文化が科学革命とどのように関係するかを語っている。まず、スノーは自ら作った「二つの文化」と云う言葉について、「文学に造詣の深い知識人」の文化と自然科学者の文化を意味するとした。ここで下線部の原語は、夫々Literary Intellectualsと(natural)Scientistsが使われている。Scientists   は良いとして、Literary Intellectualsの訳語は、主に文学的知識人や人文系知識人があてられているが、同書に加えられた解説では、文学に造詣深い知識人という訳語が使われている。こうしたスノーの二つの文化のもとにある二つの分野を日本語の理系・文系と比べると、二つの文化では、いわゆる社会科学系分野が抜けていると見ることが出来る。社会科学分野の存在についてはスノー自身しばしば気にして、第三の文化という言葉も口にしているが、その点を除けば、”二つの文化”と理科系・文科系の分野は基本的には重なっていると云えよう。スノーの体験に戻ると、若手研究者の時の上述した事件によって研究者の夢を絶たれたスノーであったが、その後の行政経験を通じて、優れた自然科学の研究者と、また作家活動の経験を通して著名な作家達と接する多くの機会を持つという特権を得た。彼はそのような体験を通じて、自然科学系の研究者のグループと文学に造詣の深い作家たちのグループの間に特殊な雰囲気があることに気づいた。つまり、二つのグループの人たちの間には、同席したパーティ等ではあいさつを交わすけれど、普段は、別々の言葉を使い互いに理解しようとせず、相手側に不満を云っても尊敬するといったことはない、と。

スノーが「二つの文化と科学革命」で訴えたことの要点は、英国を代表する知的な人たち間のこうした離反や乖離は、その人たちが属する文化相互の不信と無理解を招き、その結果は新しい科学技術の発展を阻害し、英国の衰退に繋がるという危惧だった。しかも彼には、それは英国を越えて世界に共通する問題だという確信があった。

科学革命による科学技術の振興という彼の主張には、”英国病”が正に始まろうとしていた当時の英国の社会状況も与っていただろう。云いかえれば、科学革命によって英国経済を活性化しようとする観点だ。ここで注意すべき点は、科学革命とは、スノー独自の解釈による科学革命であり、16~17世紀の(いわゆるニュートンの)科学革命のことではない。彼は20世紀に始まった原子レベルのミクロな粒子の工業的な利用技術、つまり、エレクトロ二クス原子力工業オートメーションこそが世界の産業を大規模に変え、また、生活の物質基盤を与える、真の科学による革命だと主張したのである。当時の世界は、米・ソ二大国が覇権を争い、大陸間弾道ミサイル開発をはじめ、月面探査、原子力利用などの分野で激しく技術を競い、科学の巨大化を伴う科学技術革命が進行し始めていた時代である。人文系や自然科学において、伝統に固執する英国の教育体制は、今後起きるそのような科学革命から置いて行かれると警鐘を鳴らし、科学技術教育の重要性を主張したスノーの見解は先見性を持ち、世界の注目を引いた。

皮肉なことに、スノーの警鐘を受け入れた国は、英国ならぬ、わが国だったようにも見える。つまり、経済成長期に素早く科学技術振興政策を取り入れ、科学技術立国の名のもとにエレクトロニクス技術などで先頭を走り、ある意味の優等生だったのではなかろうか。しかし問題は、今後も続く科学技術の進歩によって、わが国や世界が希望を持てる将来にできるかである。

スノーの議論からほぼ60年の時を経て、世界は大きく変わった。実際、21世紀の現在、理科系・文化系の区分から見れば、もはや理科系優位な圧倒的状況が出現している。しかし、スノーが科学革命の一つとした原子力利用をとっても、今日負の遺産化して、人類がどんな希望を持っていけるかといった問いに答えられそうにない。今日から見れば、保守的で科学万能主義のようにさえ見えるスノーだが、”二つの文化と科学革命”の中で、科学教育改革の課題などに並んで最後にあげた、「人類はどんな希望を持てるのか」という問いかけはきちんと受け止める必要がある。人文系や芸術系との共存などと云わなくても、人類が将来に希望をもてるまともな社会を維持できると考える、科学技術万能主義を信奉する人が沢山いるように思えてならない。とり分け、教育・研究行政に携わる人が、明治維新以来の西欧に追いつけ・追い越せの発想に囚われ、短兵急な科学技術万能の考えになることは恐ろしいことだ。その意味で今、理科系と文化の背後で見え隠れしている、スノーの”二つの文化の対立や壁”をどのように超えていくかが問われていると思うのである。

 

「脚注」

(*)本稿を書くため、関連のある最近の出版物を図書館で調べてみた。21世紀が始まるころから、新しい科学・技術に関連した出版が現れていることが分かった。しかし偶然、その中に、本稿に直接関わる内容に関して、誤りと思われる記述があった。ここでは、発言者氏名(M氏とする)などは伏せた上で、問題を指摘したい。出典は学術会議の公開シンポを記録した出版物「科学を文化に」で、問題の箇所は、質問に答えたM氏の発言:「理系・文系という分け方、二つの分け方があるとおっしゃったのですが、それは日本固有の分け方ですので、お忘れになった方がよろしいかと思います。直接文化と関係ないのではないかと思います。(以下略)」の個所。本稿で説明したように、スノーは人文系と科学系の人達の二つのグループの文化を考えている。人文系と科学系二つのグループを日本語の理系・文系と呼んで良いかという点に問題が残るとしても下線した部分の見解は本質的に妥当性を欠いたモノである。発言者は学術会議の公開シンポの責任者だったこともあるので、指摘しておきたい。

(**)チャールズ P. スノー、二つの文化と科学革命(新編)、松井巻之助訳、みすず書房、2011。

 

長島 知正                (2017-04-14)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宙づりの感性(2)

前回大変な駆け足であったけれど、デカルトがどのようにして、コギトの発見から、精神物質の二元論という枠組みを帰結させたか、その大まかな道筋を説明した。また、デカルトの二元論からは、見方を変えれば、認識する主観と認識される客観が相対立する認識図式が導かれるなど、後の自然科学が発展の契機とした基本的要因が垣間見えることも述べた。ここまでを取りあえずの手掛かりとして、”宙づりの感性”と云うコラムの本題に話を進めよう。話の向かう先は人間の感性である。と云っても、いずれ明らかになることだが、感性についての物語や想いを述べたいのではない。云いたいのは、”宙づりの感性”という事態が、デカルトが創った近代の枠組み、つまり、二元論から論理的に導かれるということである。”宙づりの感性”とはどう云うことか、また何故、そうなるのかはこれから説明する。詳しいことは後に回し、まず全体的な話から始めよう。

精神物質を実体とする二元論に行きついたデカルトは、この世界には、コギト(=考える我)とは全く異なる存在として物質が存在するとしたが、物質を具体的にどのように捉えていたのだろう。物質をどう認識していたかについては”方法序説”より、体系的な説明を後に発表した”省察”でしている。省察は、自らが打ち立てた二元論の体系に対する疑問に答える形をとり、改めて、自然界ーそれは神が創造したーは透明化され、機械論的な世界として構成できると主張した。実際、彼の確信は、科学・技術の歴史の中にクッキリと残されることになった。つまり、デカルト以降、自然科学は自らの根拠として二元論を採用し、その物質の側だけを研究してきたと云えるのではないか。そうした科学の選択は産業革命を可能としたばかりか、21世紀に至る科学技術の驚くべき進展に繋がっている。だが、二元論には、精神(こころ)と身体がバラバラに分離されるという”心身問題”に留まらず、外観は心身問題とは異なる形をした解決困難な問題が隠されていることも知られている。本稿の”宙づりの感性”で云わんとすることも、二元論に基づくデカルトの物質観それ自体から導かれる人間の感性に関する一つの帰結である。

デカルトが、完全なる神の存在を介して物質の存在を結論付けたことは前回紹介した。しかし今日では、神の存在まで持ち出す議論はどこかウサンクサイと感じる人は多いに違いない。ウサンクサイどころか、不信感さえ持つ人がいて当たり前だろう。何故、そんな手の込んだことをするのか、目の前にモノがあれば(見えていれば)、それが存在しているのは当然でしょう、と。

”素朴実在論(直接的実在論)”と呼ばれる感覚・知覚経験に根ざした物質界に対するこうした素朴な見方は日常生活を実践するうえで非常に有用なものだ。しかし、改まって考えてみると、当たり前でないことに気づくかも知れない。

素朴実在論の特色は日常生活の経験で知覚の直接的な対象を外的事物とすることにある。ドライブ中、急に眼の前に崖が現れたら、ブレーキを踏むのはその証しだ。しかし、文字通り素朴に、知覚の対象を外的事物に置き換えるのが困難なことも多くの事例が教える。例えば、目に映る景色は文字通りの大きさで外的なものが存在していない。広い意味の錯覚である。また、物理学によれば色は光の中に存在していない。だから、知覚の対象を素直に外部の事物と見なすことは難しそうだ。素朴実在論には根拠が与えられていないのである。

とすれば、知覚の対象として物自体と直接関係しない”何か”を考えざるを得ない、と云うのは哲学者だ。その”何か”を表すものの一つが、西欧では古くから”観念”であったようだ。普通、観念はある事物を意識した時、意識のうちにあらわれる意識内容を意味している。海と聞いたり、山を見たとき、心に現れる一種のイメージ(表象)を指すが、デカルトは、神から与えられた生得的で明晰に意識に現れる観念を元に彼の理論を組み立てた。つまり、我の精神(こころ)の働きの中に、”観念”を据え、その上で、神の存在を介して物質からなる自然を客観的に組み立てた。言葉をかえれば、二元論で物質との直接作用を禁止された、我の精神は、直接の対象として観念に作用(思惟)し、例えば、自らの内に生じる観念を知覚する。逆に云えば、外界の事物は、我の観念によって表象されたものとして見られ(知覚され)るのである。つまり、こころは間接的に外部の事物を見ているのだ(間接的実在論)。デカルトが近代哲学の父と呼ばれるワケも、カントに至る西欧の認識論の骨格と云える、こうした”観念を知覚する”認識モデルを創めたことに核心があるのだろう。もっとも、その評価はまた別の問題と付け加えなければならないが、、、。

free 考える イラストや 

 図1.カンセツテキ・ジツザイ!?

具体的なデカルトの物質観に話を進めよう。デカルトによれば、上の説明のように、外界の物体は、我の精神のうちにある観念によって表象される、間接的な知覚の対象である。だが、その観念のすべてが本質的な存在(実体)を表してないということから話は複雑になる。つまり、外界にあるように心の中で感じられる観念は二種に分けられる。一つの観念は、物質の本質を表す延長のように、明晰判明に知覚され、数学的明証的に把握できる性質(一次性質)を持つ。しかし他方、色、音、匂い、味など感覚的に感じられる観念は、こころの中で感じられても、物質としては存在しないという性質(二次性質)があるというのである。この一次、二次性質の区分は実はデカルトが始めたものではなく、既にガリレオによって主張されていた。またロックによって詳しく分析されたが、ここでは、デカルトの物質観を色濃く表わした、省察3(三木清訳、岩波文庫)にある記述を引用しよう。

デカルトは、”そうして物体的なものの観念についていえば、”と云ってから、以下のような物質観を述べる: (中略)

”これらにおいて私が明晰に判明に知覚するものはただ極めて僅かであることに気づくのである。言うまでもなく、それは、大きさ、すなわち、長さ、広さ及び深さにおける延長、かかる延長の限定によって生ずる形体、種々の形体を具えたものの相互に占める位置、及び運動、すなわちかかる位置の変化であって、これになお実体、持続及び数を加えることができる。”

ここで、デカルトは物質の本質を、大きさ、つまり、長さ、広さ、深さという三次元的に広がる延長のほか、有限な延長による形、様々な形の位置とその変化による運動のみに限定し、物質の概念をそうした数少ない基本要素だけに還元した。これは勿論現代的原子論とは異なっているが、マクロな物質の本質的概念を抽出することによって、ニュートンの力学にも繋がりがある。

しかし、光や色、味、香などは夫々の感覚体験を物体から受け取る。だが、それらの体験は信じられるより疑わしい、とデカルトは云い、次のように”省察”で続ける:

”しかるにその他のもの、例えば光と色、音、香、味、熱と寒、また他の触覚的性質は、ただ極めて不分明に不明瞭にのみ私によって思惟せられるのであり、従って私は、それらが真であるのか、それとも偽であるのか、言い換えると、それらについて私の有する観念があるものものの観念であるのか、それとも何ものでもないものの観念であるのか、をさえ知らないのである。”

この短い段落では、感覚による知識や感覚自体へのデカルトの不信をはっきり現し、科学の対象からそれらを排除すべきという基本的な姿勢がうかがえる。

以上の記述に現れたデカルトの物質観を簡単にまとめてみよう。まず、客観的に存在する物質(物体)は無色透明、無味、無臭であって、空間に広がる延長や運動など限られた性質のみ持つことが許されている。一方、色、音、匂い、味などは物体とは切り離され、心の中でのみ感じられるものである。こうしたガリレオ・デカルトに始まる区別は、どこかオカシイ。だが、現代の科学、特に生理学の見解に類似しているから、ヒョットすると違和感を感じるというより、むしろ科学的に正しいではないかといった反応があるかも知れない。匂いや味などについて基本的にはその通りと云って良いのだろう。とは云え、精神と切り離された物体は、(無色な)形質や形は外界にある対象に属しているが、一方その色彩や匂いなどは精神(こころ)のうちにあるというのはオカシクないか。例えば、長い海岸の景色を見て、地平線と海岸線でかこまれる領域にある海や海辺の砂浜などの形質(無色な物)とそれらの形は遠くはなれた位置にあり、他方、海の青や砂浜の白等の色彩は形とは切り離されて心の中にあると云うことになるからだ。

イラストや パン 

図2.焼きたてパン

また、おいしそうに焼きあがったパンのもつ豊かさはどうなるだろう。パンの豊かさには、焼けたパン生地の色づきやイーストの香りのみならず、ふっくらと焼きあがった形状も与っている。パンの形状はあちらにあって、色や匂いは心の中にあるだろうか。バナナの匂いはバナナそのものに備わっているように感じられるように、元来、モノに備わった十全な感性的性質は一体感の中にあり、バラバラになっては感じられないのではないか。

こうしたオカシサはデカルトも知っていた。つまり、物質の一次性質、つまり客観的に把握される物質の性質と感覚的にこころの中でのみ感じられる二次性質はバラバラに独立に存在するのではない、と。つまり、経験的に心の中に現れる感覚的表象(印象)は外部の対象物質からの刺激が因果的に繋がって現れるからだ。云い換えれば、こころで感じる感性的性質の知覚経験は、外部に客観的に存在する物質の何らかの性質が原因となり、その性質が身体を経由して、こころに伝わり、表象が作られるからである。この説によれば、感覚的性質は結局、物質の性質によって決まっていることになる。こうして、デカルトは客観的に把握できる物質についての科学を進めて行くことによって、感覚的な性質まで分析できるに違いないと考えた。

実は、こころに浮かぶ表象(観念)が外部にある物体を間接的に表すという間接的実在論の立場から見れば、上述した見方はその中に当然含まれるハズであり、後に知覚因果論と呼ばれ広く知られるようになった。しかしここに、デカルトの、ひいては現代科学の楽観が隠されていた。つまり、知覚因果論はデカルト以降300年を経て今日なお未解決、というより、むしろある意味で不可能と云える問題を内蔵しているからである。

話が大分長くなったので、ここで結論を一部先回りして云うことにしよう: 

私たちは今日、ガリレオ・デカルトの一次、二次性質という物質観を基本的に受け入れる一方、科学的正当化の道を外された感性(感覚的性質)は、一体感を失い、行先 定まらぬまま宙に浮いてしまっているのである。

 

知覚因果論は今日の脳科学にも関わる問題である。それらについては次回考えよう。

 

長島 知正      (2017-03-18)

 

 

宙づりの感性(1)

新年ということもあって、前回のコラムでは当サイト、特にコラムのこれからの予定について、筆者の多少の思いも交えて「デカルト的近代からの旅立ち」という題で書いた。そこでは、サイトの名称「理科系のための、哲学、芸術、、、」にある「理科系のため」というただし書きに着目する形で、西欧近代に対する筆者の考えが述べられている。しかし、読み直してみると、話の対象が400年に亘るものである一方、それを捉えるための重要なポイントは絞り込んで書かれていないことが気になる。そこで、「デカルト的近代からの旅立ち」というテーマの内容を浮き彫りにするポイントがどこにあるか、コラムの中で今後取り上げて行くことにしたい。ただ、コラムとはいえ、筆者に予め決まった答が用意されているわけではないから、不定期的になることはお許し頂きたい。

今回はまず、デカルト的近代とはどのようなものであるか、その起点にある”コギト”から考えてみたい。「われ思う、ゆえにわれあり」という文言は恐らく誰もが一度は聞いたことがあるに違いない。コギトはそこに出てくる。デカルトが生きた時代の学術文書は普通ラテン語で、”コギト”は ”われ思う(考える)” のラテン語 で、”コギト・エルゴ・スム”は「われ思う(考える)、ゆえにわれあり」と訳され、コギトは重要なタームとして扱われる。ただし、この文言は仏語で書かれた原書「方法序説」の中で登場するから、原語は仏語 “Je pense, donc je suis” で、そのラテン語訳が上の文言にあたる。

西欧がわが国を含む世界を永く主導してきたといわれる歴史の中で、デカルトはそうした思想的基盤を支えた人物として「哲学の父」と呼ばれている。デカルトの名は広く知られているが、理科系の人は、デカルト座標やその直接的効用として解析幾何学を創めたことを知っていても、その人が哲学の父と呼ばれるワケについては、何故か余り関心がないようだ。見方によっては、あたかも自分たちには思想など必要ないと云いたいようにすら見える。「われ思う、ゆえにわれあり」は、デカルトが自身の思想の出発点としたポイントである。この古い文言を取り上げることにしたい。それは古臭くても、理系・文系に関わりない新しい問題に繋がっているからである。

55図1 われ考える

筆者自身の話から始めよう。その文言をはじめて聞いたのは中学の社会科だったような記憶がある。だが、文言の意味を自問したのは、確か大学進学の前後あたりで、「われ思う、ゆえにわれあり」の意味として自分なりに考えたのは、「人間は生きものの一種だが、人間と呼べるのは、考える能力をもつ生きものだからだ」というものだった。戦後のいわゆる高度成長期に理科系の道を歩んだ故か、「人間は理性によってこそ、人間たりえる」という先の解釈を全く疑うことなく、人生を振り返るころまでそう思っていた。他人に聞いたことはないので分からないが、デカルトの文言の意味を”知性こそ人間を特徴付ける特性である”と理解している人は結構いるような気もする。哲学ではその解釈を取らない、つまりマチガッテイルことを筆者は偶然から知った。

「コギト・エルゴ・スム」は近代西欧の出立点と見なされているから、既に十分過ぎるほど議論はなされているが、デカルトと私たちの関わりを考えるため、以下では哲学での標準的な解釈がどういものか、またそれがどのように現代に繋がるかを取りあげたい。まず、哲学における標準な解釈から始める。

デカルトを考えるうえで時代的背景は重要である。デカルトの時代は、永く教会支配の続いた中世が科学革命を契機として大転回し始めるという歴史の転換点に当っている。一口で云うならば、そうした中で、デカルトは自らそのエンジンになろうと考えていたということである。そのため、彼は「如何にして中世の世界観と異なった正しい世界観を持つことができるか」を普通の市民に訴えるべく、敢えて仏語で「方法序説」を書いた。

方法序説にあるその文言に至るために、デカルトは”方法的懐疑”と呼ばれる手段を考えついた。懐疑的な方法と云っても、未だ完全に正しいことが明らかでない考えがあった時、もしかするとマチガイかも知れないという、一定の留保や躊躇をすることではない。科学的な発見では、様々なことを疑ってみるという注意深さが要求されるのは当たり前のことである。だが、デカルトは科学の範囲に留まらない、思想家である。彼が考えた”方法的懐疑”は科学の常識を超えたもので、マチガイがあるかもしれないという相対的な懐疑ではなく、ありとあらゆるすべてを疑うというのである。そこでは、彼自身が信頼できるとした数学や、また、眼前にある事象すら、夢かもしれないという懐疑の対象にしなければならない。デカルトはこうしたすべてを疑うという考えを徹底して押し進め、それでも疑われずに残るものがあることにたどり着いた。つまり、

すべてを疑わしいとしても、そう考えている私はある」ということは真実だ!

と。これが、デカルトの「われ考える、ゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)」に対する哲学の標準的な解釈である。

ところで、”思っている(考えている)われ”は、普通の人間ではない。コギトには肉体がないのである。”われ”は肉体から切り離され、物と一切の関係を持たない、精神として存在している。それは物体が空間的に広がり(延長する)こととは対照的に、空間的な広がりをもたず、また特定の場所を占めることもない。デカルトはこの精神を物と並ぶ本質的な存在、実体と見なした。こうして、考える能力をもつ精神=コギトとそれとはまったく関わりをもたないとが存在する(実体)二元論の骨格が現われる。

デカルトはこのコギトの発見、つまり、考えているわれこそ、あらゆる疑わしさを超え、およそ人間の精神が世界の真理を手に入れる起点になると考えた。つまり、方法序説や省察において、デカルトは、完全な神の存在を介して、われは幾何学的明晰さを基準にして物が作る外部世界を正しく認識出来るとした。言い換えれば、物質世界の仕組みを数学的な方法によって正しく知ることができると云うのである。この記述には相当な省略があるためそれを割り引いての話であるが、そこに、アリストテレス的な有機性(霊性)を内包した世界が透明化されると共に、”認識するわれ”と”認識される対象世界”という近代的な認識論の構図の一端は見てとれるのではないだろうか。また、デカルトが哲学の父と呼ばれるワケもそこに根ざしている。つまり、西欧の近代は、コギトの発見によって、永く続いた教会を中心とした閉鎖的な中世的世界観から、無限に広がる世界の中の対象を外側から客観的に眺める私という、認識論的転回によって始まる、と。

ここまでくれば、筆者の以前理解していた「われ思う、ゆえにわれあり」の解釈のマチガイはもう明らかだろう。以下では、デカルトは今日の私たちとどう関わっているかという観点から浮上してくる問題に注目したい。

上で粗削りしたデカルトの思想の中でも、特に、”考えるわれ=コギト”が、その知性に基づいて数学的な方法を使用すれば物質世界を客観的で正しい理解を獲得できる”というシナリオは、自然学に大きな力を与えたと云われている。実際、上述したように、ガリレオから始まりニュートンで完成した科学革命はそうした背景の中で起き、またその流れは現在にまで及び、今日も自然科学を学ぶ時、デカルトの思想そのものが基礎(の一部)として使われているのではないか。

しかし、デカルトの認識論は、二元論の見方を変えるだけで得られるのだから、二元論が導かれた枠組みと事実上同じ枠組みに依存している。二元論に問題があれば、そこには同じ水準の問題があることにならないか。哲学では、デカルトの二元論は心身問題を引き起こし、その克服が最大の課題と云われ続けている。他方、哲学の外にいる人達の間で、二元論や関連した問題が真面めに議論されている形跡はほとんどない。

いずれにしても、こうした問題の答えは簡単に見いだせるものではないが、全ての人の生き方と緊密な繋がりを持ち、専門家に任せれば良いという問題ではないと思うのである。ここまで準備してきたが、既に紙幅を超えてしまった。次回、デカルトの二元論が生み出した問題として、人間の感性を取り上げて考えることにしたい。

長島 知正    (2017-02-14)