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理科系と文化

わが国には、理科系や文科系という言葉がある。理科系・文化系という区別は確かにありそうだし、実際、大学改革、とりわけ教養部改組などでは”文理融合”などということも取りざたされたりもした。だが何故か、理科系・文科系をめぐる議論は我が国では発展していかない。その一方で、最近「科学技術と文化」ということがいろいろな分野で話題にのぼっているようである(*)。これらには何か繋がりがありそうだが、ハッキリしない。表題の「理科系と文化」もどこかすわりが悪いけれど、何故すわりが悪いのか気になる方は、特に、以下をお読み頂きたい。

わが国の少し前を振り返ってみると、理科系や文科系という言葉は、大げさに言えば、入試と就職がセットになって一生を決める機会と見做されていた戦後の、そしてつい最近まで続いた社会構造と一体化して使われてきたと云えよう。そこでは経済成長とともに、条件の良い企業に入るステップとして受験競争は過熱化し、そのため、理系・文系をめぐる議論も受験・進学時の個人的適性や受験教育のひずみという問題に傾斜したということは確かにあるだろう。その結果、数学が得意(不得意)だから理系(文系)だといったことが話題になる。個人としてのそうした適性/能力の議論はあり得るけれど、更に、その適性(特性)を社会に目を向けた議論があまりに少ない。このことは、バブル経済崩壊や発展途上国の経済発展などにより、戦後の社会構造や、また受験事情も大幅に変わった今日でも、理系・文系をめぐる議論は発展どころか、一向に聞こえてこないことに関係ありそうだ。理系・文系の話題が文化の議論に広まっていかない原因がどこにあるのか、それは、最近聞かれる”理科系の文化”の内実に関わる大切な問題と思うのである。理科系・文科系という言葉は恐らく日本製と思われるが、それにほぼ平行する意味を持っ言葉としてスノーによる”二つの文化”がある。ここでは、”二つの文化”を取り上げ、理系・文系と二つの文化のハザマにある意味の異同や問題点を考えてみたい。

以前も述べたことであるが、”二つの文化”という言葉は、スノーの”二つの文化と科学革命”(**)によって広く知られるようになった。以下で、内容に少し立ち入ることにする。

まず、C. P. スノー(1905~1980)の経歴に触れておこう。英国ケンブリッジ大学が主催する年一度の講演会(リード講演)は、毎年、世界的業績を挙げた研究者や著名な作家が登場することで知られているが、作家・評論家として活躍したスノーは1959年の演者として選ばれた。だが、彼はもともと作家志望だった訳ではない。地方出身で苦労したが、大学院の奨学金を得ることからチャンスを掴んだようだ。彼はその奨学金でケンブリッジの大学院博士課程に進学し、ラザフォードが所長を務めるキャベンディッシュ研究所で赤外線分光法に関する研究をはじめた。その後、特別研究員に選ばれるなど、順調に研究を進めた彼はついに27歳の時、「ビタミンAの新しい人工合成法を発見」という結果を得た、と信じた。

”Nature”に発表された”新発見”は学士院長のコメントが新聞で大きく報道される程、世間の注目を集めたらしい。しかし、その解析には致命的な誤りがあることが見つかり、衆目が注目する中で論文を撤回せざる得なくなった。この悲劇的事件によって研究者としての進路を断念した彼は、文筆活動を始め、やがて本格的な小説を作っていった。その後、行政機関や民間企業で行政官、管理職などの経験を積み、晩年はそれまでの経験から活発な評論活動をしている。こうした科学研究、研究行政、作家・評論活動としての経験をもとにした”二つの文化と科学革命”は、1960年代世界的なベストセラーになったと云われている。

勉強3.イラストや           図1.理科系 それとも 文科系?

 

理系・文系の境界を横断する体験をしたスノーは著書の中で、二つの文化とはどういうものか述べた後、二つの文化が科学革命とどのように関係するかを語っている。まず、スノーは自ら作った「二つの文化」と云う言葉について、「文学に造詣の深い知識人」の文化と自然科学者の文化を意味するとした。ここで下線部の原語は、夫々Literary Intellectualsと(natural)Scientistsが使われている。Scientists   は良いとして、Literary Intellectualsの訳語は、主に文学的知識人や人文系知識人があてられているが、同書に加えられた解説では、文学に造詣深い知識人という訳語が使われている。こうしたスノーの二つの文化のもとにある二つの分野を日本語の理系・文系と比べると、二つの文化では、いわゆる社会科学系分野が抜けていると見ることが出来る。社会科学分野の存在についてはスノー自身しばしば気にして、第三の文化という言葉も口にしているが、その点を除けば、”二つの文化”と理科系・文科系の分野は基本的には重なっていると云えよう。スノーの体験に戻ると、若手研究者の時の上述した事件によって研究者の夢を絶たれたスノーであったが、その後の行政経験を通じて、優れた自然科学の研究者と、また作家活動の経験を通して著名な作家達と接する多くの機会を持つという特権を得た。彼はそのような体験を通じて、自然科学系の研究者のグループと文学に造詣の深い作家たちのグループの間に特殊な雰囲気があることに気づいた。つまり、二つのグループの人たちの間には、同席したパーティ等ではあいさつを交わすけれど、普段は、別々の言葉を使い互いに理解しようとせず、相手側に不満を云っても尊敬するといったことはない、と。

スノーが「二つの文化と科学革命」で訴えたことの要点は、英国を代表する知的な人たち間のこうした離反や乖離は、その人たちが属する文化相互の不信と無理解を招き、その結果は新しい科学技術の発展を阻害し、英国の衰退に繋がるという危惧だった。しかも彼には、それは英国を越えて世界に共通する問題だという確信があった。

科学革命による科学技術の振興という彼の主張には、”英国病”が正に始まろうとしていた当時の英国の社会状況も与っていただろう。云いかえれば、科学革命によって英国経済を活性化しようとする観点だ。ここで注意すべき点は、科学革命とは、スノー独自の解釈による科学革命であり、16~17世紀の(いわゆるニュートンの)科学革命のことではない。彼は20世紀に始まった原子レベルのミクロな粒子の工業的な利用技術、つまり、エレクトロ二クス原子力工業オートメーションこそが世界の産業を大規模に変え、また、生活の物質基盤を与える、真の科学による革命だと主張したのである。当時の世界は、米・ソ二大国が覇権を争い、大陸間弾道ミサイル開発をはじめ、月面探査、原子力利用などの分野で激しく技術を競い、科学の巨大化を伴う科学技術革命が進行し始めていた時代である。人文系や自然科学において、伝統に固執する英国の教育体制は、今後起きるそのような科学革命から置いて行かれると警鐘を鳴らし、科学技術教育の重要性を主張したスノーの見解は先見性を持ち、世界の注目を引いた。

皮肉なことに、スノーの警鐘を受け入れた国は、英国ならぬ、わが国だったようにも見える。つまり、経済成長期に素早く科学技術振興政策を取り入れ、科学技術立国の名のもとにエレクトロニクス技術などで先頭を走り、ある意味の優等生だったのではなかろうか。しかし問題は、今後も続く科学技術の進歩によって、わが国や世界が希望を持てる将来にできるかである。

スノーの議論からほぼ60年の時を経て、世界は大きく変わった。実際、21世紀の現在、理科系・文化系の区分から見れば、もはや理科系優位な圧倒的状況が出現している。しかし、スノーが科学革命の一つとした原子力利用をとっても、今日負の遺産化して、人類がどんな希望を持っていけるかといった問いに答えられそうにない。今日から見れば、保守的で科学万能主義のようにさえ見えるスノーだが、”二つの文化と科学革命”の中で、科学教育改革の課題などに並んで最後にあげた、「人類はどんな希望を持てるのか」という問いかけはきちんと受け止める必要がある。人文系や芸術系との共存などと云わなくても、人類が将来に希望をもてるまともな社会を維持できると考える、科学技術万能主義を信奉する人が沢山いるように思えてならない。とり分け、教育・研究行政に携わる人が、明治維新以来の西欧に追いつけ・追い越せの発想に囚われ、短兵急な科学技術万能の考えになることは恐ろしいことだ。その意味で今、理科系と文化の背後で見え隠れしている、スノーの”二つの文化の対立や壁”をどのように超えていくかが問われていると思うのである。

 

「脚注」

(*)本稿を書くため、関連のある最近の出版物を図書館で調べてみた。21世紀が始まるころから、新しい科学・技術に関連した出版が現れていることが分かった。しかし偶然、その中に、本稿に直接関わる内容に関して、誤りと思われる記述があった。ここでは、発言者氏名(M氏とする)などは伏せた上で、問題を指摘したい。出典は学術会議の公開シンポを記録した出版物「科学を文化に」で、問題の箇所は、質問に答えたM氏の発言:「理系・文系という分け方、二つの分け方があるとおっしゃったのですが、それは日本固有の分け方ですので、お忘れになった方がよろしいかと思います。直接文化と関係ないのではないかと思います。(以下略)」の個所。本稿で説明したように、スノーは人文系と科学系の人達の二つのグループの文化を考えている。人文系と科学系二つのグループを日本語の理系・文系と呼んで良いかという点に問題が残るとしても下線した部分の見解は本質的に妥当性を欠いたモノである。発言者は学術会議の公開シンポの責任者だったこともあるので、指摘しておきたい。

(**)チャールズ P. スノー、二つの文化と科学革命(新編)、松井巻之助訳、みすず書房、2011。

 

長島 知正                (2017-04-14)